スピッツのファンなら、あの名盤『名前をつけてやる』の靄のようなギターサウンドに心当たりがあるはずだ。
草野マサムネのデビュー当初のインタビューでは、自分たちのことを「ライド歌謡」と称していたそう。彼らのルーツの一つは、間違いなくこのRideの『Nowhere』にある。
2000年代以降のインディーシーンを牽引したAlvvays、Beach Fossils、DIIVといったバンドたちも、この『Nowhere』の響きを参照しています。
私にとってRideはリアルタイムの体験ではない。でも、自分が育ってきたロックの「源流」を探っていくうちに、必ずこの真っ青な波のジャケットに辿り着く。
まだ18歳から20歳そこらだった4人の若者が、期待を一身に背負って放ったデビュー作。単なるシューゲイザーの名盤という以上に、青春の疾走感をギターで描き出した、最高に眩しい絵巻物だ。
制作背景
バンドは1988年の夏にオックスフォードで結成。Andy BellとMark Gardenerに、ドラマーのLoz ColbertとベーシストのSteve Queraltが加わった。
早期のデモテープがCreation RecordsのAlan McGeeの目に留まり、契約を勝ち取った。
『Nowhere』の録音は1990年春。プロデューサーのMarc Watermanとともに進められたが、セッションはWatermanが途中で離脱するという混乱の中で続いた。最終的なミックスはAlan Moulderが担当しました。
Mark Gardenerはこのアルバムを「夜の録音」と呼んでいる。深夜の長時間セッションが積み重なり、孤立と暗さがそのまま音に滲み込んだと語っています。
制作中には窓の外でポールタックス暴動が起きており、「Paralysed」にはその音がかすかに残っています。
アルバムジャケットの真っ青な波の写真はサーファー写真家Warren Bolsterが撮影したもの。「打ち寄せる前の一瞬」を捉えた——解放と衝突の寸前の静止。このアルバムの音楽的な緊張感とぴったり重なる。
音楽性
音の全体像は、Mark GardenerとAndy Bellによるツインギターの、すべてを飲み込んでいくような迫力に満ちています。
Bellがコードシーケンスのアイデアをまず作り、Gardenerがリバーブをかけたアルペジオやノイズで装飾を加えるという分業が基本だった。クリーンなアルペジオが鳴り響いたかと思えば、次の瞬間には歪みの壁が雪崩のように押し寄せてくる。
ボーカルはノイズに埋もれがちだが、その霧の中からふっと美しいメロディが浮かび上がってくる瞬間に胸が熱くなる。
PitchforkはこのアルバムをSonic Youthのディストーション、The Stone Rosesのジャングル・サイケデリア、The CureのDisintegrationの夜景と比較した。
ただRideが際立っているのは、クラシックロックへの深い敬意を持ち込んだ点だ。「Seagull」のベースラインはThe BeatlesのTaxmanを参照しており、「Dreams Burn Down」のドラムの轟音はLed ZeppelinのWhen the Levee Breaksを想起させます。
和声的には、このアルバムは「メジャーコードを使いながらマイナーの暗さを出す」という技法が随所に見られます。
「Seagull」はGメジャーを軸に動き、明るいGメジャーからBmへの移行が「疾走しながら翳る」感覚を作っている。「Dreams Burn Down」は下降するコードラインが「夢が燃え尽きていく」切なさを音楽的に表現しています。
後続アーティストへの影響
Loveless(MBV)、Souvlaki(Slowdive)と並ぶ「シューゲイザー三大名盤」のひとつとして、『Nowhere』はジャンルを定義した作品として扱われています。
ただRideが特異なのは、このアルバムが出た1990年時点では、SlowdiveもChapterhouseもまだデビュー前だったという点だ。Rideはシューゲイザーのフォロワーではなく、「シューゲイザーを作った側」でした。
Alvvays、Beach Fossils、DIIVといった2010年代のドリームポップ・バンドたちは、『Nowhere』のダイナミクス——静かなアルペジオと轟音の壁の往復——を直接の参照点としています。
Deafheavenのような「ブラックゲイズ」と呼ばれるジャンルへの影響も指摘されていて、「Dreams Burn Down」のギターリフはその構造と酷似している。
楽曲解説
Seagull
開放弦を多用した響きが心地よい。Gメジャーを軸に、G・E・B・A・Bm・Dと動くことでルート音が固定されたまま上盤が複雑に動く独特のドローン感が生まれる。
明るいGメジャーからBmへの移行——この短調への傾きが「疾走しながら翳る」感覚の正体だ。サビで壁となって押し寄せるギターノイズの土台を、The BeatlesのTaxmanを参照したと言われるベースラインが支えています。
Polar Bear
J.D.サリンジャーの小説からインスパイアされた曲で、トレモロサウンドをBellとGardenerがスタジオで偶然発見して完成した。
メジャーコードにテンションノート(9thや11th)が加わった、不安定で冷たい響きが特徴です。リズムの推進力が凄まじく、Loz Colbertのドラムがアルバムで最もタイトに機能しています。
Dreams Burn Down
アルバムのクライマックス。下降するコードラインが、文字通り「夢が燃え尽きていく」切なさを音楽的に表現しています。
壮大なドラムイントロから静かなヴァースへ落ち、サビで感情が一気に溢れ出す構造。MBVの『Loveless』より13ヶ月前に録音されたこの曲が、その後のシューゲイザーが向かう方向を先取りしていたとPitchforkは指摘しています。
まとめ
このアルバムが与えた影響は、単なる「1990年の流行」では終わらなかった。
彼らの鳴らした「メロディアスな轟音」という発明は、海を越え、時代を越えて、無数のフォロワーを生み出し続けています。その響きはロックの源流を探る者が必ず辿り着く場所に、今もある。

