クアデカ(Quadeca)おすすめ名盤『Vanisher, Horizon Scraper』レビュー|祝フジロック来日!元YouTuberが作ったヒップホップ×映画音楽の全貌

クアデカ(Quadeca)おすすめ名盤『Vanisher, Horizon Scraper』レビュー|祝フジロック来日!元YouTuberが作ったヒップホップ×映画音楽の全貌 Indie Rock / Indie Pop

クアデカ(Quadeca)は、本名Benjamin Lasky。かつてはYouTubeのラップバトル界隈で知られ、2023年の前作『I Didn’t Mean to Haunt You』で批評家の注目を集めた。

そして2025年7月25日にリリースされた4枚目のアルバム『Vanisher, Horizon Scraper』で、彼は完全に別の次元に踏み込んだ。

自身のレーベルX8 Musicからの初リリースであり、クリエイティブ・コントロールを求めてDeadAir Recordsを離れた直後の作品だ。

これはコンセプト・アルバムです。

「一人で海に漕ぎ出した男が、自由と宇宙的な理解を求めながら、実は自分の破滅に向かっている」という現代的な黙示録的物語——メルヴィルの『白鯨』を彷彿とさせる、黙示録後の海洋叙事詩だ。

海が全体を貫くメタファーとして機能し、音楽の動きそのものが波のように膨らみ、引き、砕け、煌めく。

Quadecaはこの物語の動機について、「人間が自分よりはるかに大きなものと向き合い、何もコントロールできない状況に置かれること」と語っている。

海は自由の象徴であるだけでなく、「恐ろしく、怒り狂い、迷子になる」疎外感の象徴でもあると。

歌詞だけでなく、サウンドの構造自体がその物語を体現しています。

このアルバムはプレイリスト向けではありません。

Quadeca自身も制作中は「曲がそれぞれの場所を得るまで」頭から最後まで通して聴かなかったという。

完成したとき初めて14曲が一つの弧を描く。

そのフォーマットへの信頼がこのアルバムの一番の特徴で、同時に最大のリスクでもある。

ストリーミング時代に「頭から最後まで通して聴いてくれ」と言える作品を作ること自体が、ある種の反骨です。

音楽性

アルバムは14曲、69分。Quadecaがギター、ベース、ピアノ、シンセ、パーカッション、ドラム、チェロ、弦楽アレンジのほぼすべてを自身で演奏・プロデュースしており、Johan Lenox(プロデュース・弦楽)やMyles Martin(ドラム)、フルートを持ち込んだ声楽家Olēkaが要所で加わる構造だ。

アルバムのサウンド設計の核心は、チェロのロングトーンが低域を満たし続ける中でヴァイオリンが高域に断片を置くという構造にある。

それぞれが会話するのではなく、別々の場所で鳴り続けることで生まれる「大きな空間」——その空間の中にQuadecaのボーカルが置かれることで、人間の小ささと広大な宇宙の対比が音で体験できる。

このアルバムのジャンル的な立ち位置を強いて言うのであれば、フォークトロニカ……かもしれない。

ただしその内実はもっと複雑で、ワールドミュージック、アンビエント、ヒップホップ、ボサノヴァ、フォーク、ロック、ネオクラシカルなど、およそ70分の中に無数のジャンルが同居する。

陳腐な言い回しだが、この音楽にもはやジャンル分けなど不要。

制作においてQuadecaが最も明示的に語っている参照点の一つが、ブラジル音楽だ。

彼はChico Buarqueの1971年作『Construção』の冒頭3秒をループして「No Questions Asked」のオープニングに使用しており、その豊かなハーモニーへの傾倒は明確だ。

Construçãoは秀逸なボーカルアレンジで知られる作品であり、そこからの引用はアルバム全体のハーモニック・パレットを予告している。

もう一つの核心的な影響源が、M.I.A.だ。

Quadecaは彼女の手法——エレクトロニック・ヒップホップに東南アジアやアフリカのパーカッションを組み込む方法——から直接学んだと語っており、そのアプローチが複数のトラックのリズム設計に反映されている。

「世界音楽のビート、ポップメロディ、ヒップホップ構造の融合」という彼のコンセプトは、実質的にM.I.A.が切り開いた道の延長線上にある。

さらに言及しておくべきは、アルバムのサウンドスケープにおける室内楽的な要素だ。

ある批評家が「「Monday」にはスティッカーのような誠実さで弦楽器が鳴っており、”Forgone”の劇的な世界構築を支えるヴァイオリンと同様に、ナチュラルで正直だ」と評した通り、弦の扱いはスコアリングというより会話に近い。

「Godstained」においてはStevie Wonderのフォーク・ソウル的なコード感があると指摘するレビュアーもおり、フルートとアコースティック・コードの重ね方にR&Bの影響が滲む。

アルバムの弧全体を通じてQuadecaが一貫して避けているのは、「ジャンルの横断」を手品として見せること——つまり、自分の多才さを誇示するためだけにジャンルを列挙することだ。

彼はむしろ、手元にある道具を使って明瞭さを生み出そうとする。

その姿勢こそが、このアルバムを「折衷主義の見本市」ではなく「一つの有機体」として機能させている。

楽曲解説

オープニング「No Questions Asked」は、Chico Buarqueからの引用を土台に、多重録音されたヴォーカル・ハーモニーと異国的な楽器の断片が重なる「ほぼ完全にアコースティックな瞑想」として始まる。

「誰もいないときに俺はそこにいる」というリフレインの意味は、アルバムを最後まで聴き終えるまで明らかにならない——最終曲「Casper」で波が岸に打ち寄せる音に戻ってきたとき、アルバムが自らの尾を咥える蛇のように環状に閉じる構造が初めて完成するのだ。

「Waging War(feat. Olēka)」はそのままシームレスに始まり、シンセのアルペジオとシュールなエフェクトが謎めいた引力を生む。QuadecaとOlēkaのヴォーカルが複数のフェーズを経て絡み合い、最終ラップ・バースで初めて物語の核心——「死ではなく生を選ぶ」という選択——が明かされる構成だ。

「Ruin My Life」は3拍子のフォーク・バラード。アコースティック・ギターとエフェクトを重ねながら、若さと期待の脆さを歌う。「自分の人生を自分のものにするためには、一度壊さなければならないかもしれない」という主題は、ストリーミング時代にアルバムという形式を選んだQuadeca自身の決断とも重なる。

「Godstained」は最もポップに近いトラックで、ボサノヴァ由来のパーカッションとオーケストラの混在がR&Bのメロディと交差する。Stevie Wonder的な和声感覚とフルートの使い方が独特で、アルバム中盤の「Monday」(チェンバー・フォークのワルツ)とともに批評家から高評価を得ている曲だ。

「THUNDRRR」は、オーケストラ的な穏やかさの中でリズムが突然前景に出てくる曲だ。Quadecaが研ぎ澄まされたバースを乗せるその瞬間、MCとしての本能と周囲のシネマティックな重力が衝突し——その衝突がアルバム全体の緊張を際立たせる。

「The Great Bakunawa(feat. Danny Brown)」は、フィリピン神話の海龍バクナワと主人公が対決する「ボス戦」のような曲だ。Danny Brownのしゃがれた叫び声が龍の声を担い、Quadecaの自信に満ちたバースと鋭くコントラストを形成する。

これは主人公が「神になった」と錯覚する妄想的な昂揚——つまり、破滅への転換点を音で体現したトラックだ。

クライマックスの「Forgone」は約8分のピアノ主導のエピック。あるレビュアーが「ピアノが徐々に壊れ、ゆっくり崩れていくように聴こえる」と表現する通り、音楽の構造そのものが主人公の心理的崩壊を体現する。

ゴスペル的な霊性とコズミックな超越が交差するこの曲で、主人公はついに「地平線には辿り着けない」という事実を受け入れる——そして、それでも最後の一歩を踏み出すことを選ぶ。

フィナーレ「Casper(feat. Maruja)」は、マンチェスターのポストロック/ポストパンク・バンドMarujaのHarry Wilkinsonが神の声として登場する。

「天国は開かれている——それを知るのは死後だ」という赦しの声の中で、「No Questions Asked」の主要メロディが回帰し、波の音が再び響く。

アルバムは閉じるのではなく、永遠に循環し続ける。

まとめ

「YouTuberのラッパー」という出発点から、Chico BuarqueのMPBを引用し、M.I.A.のリズム観を吸収し、フィリピン神話の龍をDanny Brownの声で召喚し、マンチェスターのポストロック・バンドに神の役を任せるコンセプト・アルバムへ——Quadecaのここまでの距離は、批評的な文脈では語りにくい種類のものだ。

批評的には賛否がある。

「ボーカルがオーケストラの壮大さに追いついていない」という批判も正直なところ理解できる。

The Needle Dropのファンタノは冒頭曲の「ビクトリーラップ的な」配置に首をかしげ、一部のリスナーは「歌詞が音楽の壮大さに対して漠然としすぎている」と指摘する。

ただ私は、この作品の「概念的な野心がボーカルの技術的な限界を超えている」という緊張感自体が、このアルバムの誠実さだと感じている。

アルバムはあえて「連続性とジャンルの統一性」ではなく「コントラストとコラージュ」で構成されており——その意図的な乱雑さが、航海する主人公の内的な混乱と呼応している。

制作の過程でQuadecaは各楽曲の「何百もの最終版」を作り、友人たちにどれがいいか問い続けたという。

それは完璧さへの強迫ではなく、物語に最も誠実な形を探し続けた行為だ。

「宇宙的な理解を求めながら、自分の破滅に向かっていることに気づいていない」という物語は、今を生きることのメタファーに見える。

自由を求めて海に出た男は私たちで、地平線はいつまでも遠い。

このアルバムはその「遠さ」をそのまま音にしている。聴き終えた後、広大な空っぽ感が残る。

それがこの作品の正直な余韻だと思います。

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