ビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)おすすめ名盤『HIT ME HARD AND SOFT』レビュー|なぜ名曲「Birds of a Feather」は美しいのか——シンプルなコード進行に秘められた魔法

ビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)おすすめ名盤『HIT ME HARD AND SOFT』レビュー|なぜ名曲「Birds of a Feather」は美しいのか——シンプルなコード進行に秘められた魔法 Pop / Alt-Pop

Billie Eilishの『HIT ME HARD AND SOFT』は、2024年5月17日にDarkroom/Interscope RecordsからリリースされたBillie Eilishの3枚目のスタジオアルバムです。

全曲をBillie EilishとFinneas O’Connellが共同制作し、Finneasがプロデューサーを務め、ロサンゼルスの自宅スタジオで録音されました。

制作背景

まず外せない背景が、Barbie映画のサントラ曲「What Was I Made For?」の存在です。アカデミー賞受賞後、Billieはその曲が「詰まっていた扉を開いた」と語っています。3rdアルバムの制作はずっと行き詰まっていたが、あの曲を書いたことで一気に方向性が定まった。

もうひとつ重要な背景は、Billieが初めてボーカルの自己録音を学んだことです。Finneasはこう語っています。「彼女はボーカルのコンピングが本当に得意で、僕はほとんどただ従うだけだった。だから教えた——自分でやれるって」。

その結果、Billieは暗いスタジオに一人でこもり、自分のペースで声を追い込めるようになりました。「Birds of a Feather」終盤の高音ベルト——あれは誰もいない暗闇の中で一人でやったから出せた音だとBillieは振り返っています。

制作中、兄妹の間には「一番長くて大きな喧嘩」があったとFinneasは明かしています。「俺がBillieに、もっと正直に、もっと本音で書けと言い続けた。でも俺はそれをかなり上から目線でやっていた」。その衝突が、このアルバムの歌詞の赤裸々さと直接つながっています。

アルバムアートは水中写真家William Drummが撮影。Billieは6時間にわたって水中に潜り続けた撮影を「人生で最も痛い経験のひとつ」と語っています。肩に重りをつけ、ゴーグルなし、ノーズプラグなしで2分ずつ繰り返し潜水した。あのジャケットにはそれだけのコストがかかっています。

音楽性

このアルバムをFinneasは「これでもかというほどアルバムらしいアルバム」と表現しました。シングル先行なし、全10曲を同時リリース、しかも一つの曲がバラードからトランス的なダンスビートへと変容していく——「アルバムとして聴かれることを前提とした」作りになっています。

音楽的な特徴は、ストイックな静けさと過剰なほどの豪華さが同じアルバムの中に共存していること。アコースティックに近い音とビンテージシンセの厚い壁が、曲によって全く異なる顔を見せます。

Finneasはこのアルバムで「アレンジはBillieを鼓舞するためにある」という方針を徹底していて、音の足し算も引き算も彼女のボーカルの感情的な温度に従って決まっています。

このアルバム最大の変化はBillieのボーカルです。デビュー当時、彼女は意図的に囁くような声を武器にしていた。それは13歳から録音を始めた「若い声の限界」でもあったが、彼女はそれを逆手に取った。しかし今作では、ベルティングが当たり前のように出てきます。

「私は18歳まで物理的にベルトできなかった。それができるようになった」とBillieは語っています。ツアーを重ね、ボイストレーニングを続けた7年間の蓄積が、このアルバムで初めて全開になっています。

影響源について、Billieは2023年のBBC Radio 1のインタビューで、このアルバムの制作にあたりDeftones、Radiohead、My Bloody Valentineを挙げていました。

特にDeftones——『White Pony』で確立した「攻撃性と夢想性の共存」という美学、つまり歪んだギターの壁の中に甘美なメロディが浮かぶ構造——は、このアルバムの音響設計に影を落としていると思います。直接的にその質感が出ているのは「Lunch」や「Wildflower」あたりで、「Birds of a Feather」はその中でも最もポップな側に位置しています。

楽曲解説

Skinny

アルバムのオープナー。「人々は私が幸せそうに見えると言う、だって痩せているから。でも私はまだ泣いている」——痩せたことで周囲から「幸せそう」と言われる経験を正面から歌った曲。

Billieが体重について公に語り始めたのはこの曲からで、メディアと自己イメージの歪みを静かなアコースティックの上に乗せています。

Lunch

リードシングル。同性への欲望を率直に歌ったこの曲は、Billieがそれまで曖昧にしていた部分を初めて明確にした曲でもあります。

ビートが跳ねていて、このアルバムの中で一番取っ付きやすい入口。でも歌詞をちゃんと読むと全然軽くない。

Chihiro

宮崎駿の『千と千尋の神隠し』からタイトルを取った曲。千尋が自分の名前を忘れないようにする場面——つまり「自分が誰かを忘れないこと」への執着がテーマ。

録音時にFinneasがその場を離れ、Billieがモニタースピーカーから流れる他の楽器音と一緒に歌ったため、アイソレートされたボーカルには全ての楽器の音がブリードしています。「あのイントロの声に普通じゃないものを感じるとすれば、それが理由」とFinneasは語っています。

Birds of a Feather

Billboard Hot 100で2位まで上昇し、72週以上チャートに残り続けたアルバムの顔。曲の調性はDメジャーで、コード進行はDmaj7→Bm7→Em7→A7という「I→VI→II→V」の循環進行が全編を貫いています。

ポップスの教科書に載っているような進行で、複雑さは全くない。ただそのシンプルさがこの曲の強度の源になっています。

Dmaj7のメジャーセブンスが醸し出す「甘さと儚さの同居」が、「死ぬまで愛し続ける」という歌詞の過剰さをちょうど中和している。これが単純なDメジャーのトライアドだったら、歌詞の重さに音が負けていたかもしれません。

終盤の高音ベルトは、和声的に見るとDmaj7の上でメロディの最高音がメジャーセブンス(C#)付近に達します。その音が持つ「解決しそうでしない」テンションが、あの瞬間の感情的な爆発に説得力を与えています。

「私はこれが最高音だと思った。でも絶対もっと行けると思って、行った」——一人暗闇の中で追い込んだ録音だからこそ出た音です。

Wildflower

傷ついた友人を慰めているうちに、その友人を傷つけた相手に自分が惹かれてしまう——という罪悪感を正面から歌った曲。

フォークポップのデリケートな質感の中に、人の傷に踏み込んでしまう弱さがあります。GrammyのSong of the Yearを受賞しています。

L’Amour de Ma Vie

フランス語タイトル(「私の人生の愛」)を持つこの曲は、前半の静かなバラードが突然ダンスビートに変容する構造が核心です。

そのダンスセクションの起源について、Finneasはこう語っています。「ある日Billieが冗談で『有酸素運動できる曲作って』って言ってきた。それが始まりだった」。そのジョークが、このアルバムで最も大胆な構造的実験になっています。

まとめ

このアルバムを聴いて驚いたのは、「ポップスターがここまで自分を壊せるのか」という感覚でした。Billieはデビューから一貫して自分の傷や弱さを音楽にしてきたけど、今作はその精度が全然違う。

Finneasに「もっと正直に書け」と言われながら作った歌詞の重さが、全曲に通底しています。

事前シングルなし、全曲同時リリースという判断について、Billieはこう語っています。「曲を文脈から切り離したくない。このアルバムは家族みたいなもので、一人の子供だけ部屋の真ん中に置き去りにしたくなかった」。

その判断はこのアルバムの聴き方を正しく守っていると思います。10曲通して聴いて、初めて全体が見える。天才が生み出した紛れもない傑作”アルバム”です。

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