デレク・アンド・ザ・ドミノス(Derek & the Dominos)おすすめ名盤『 いとしのレイラ (Layla)』レビュー|エリック・クラプトンが生んだ伝説の名曲収録のブルース・ロック重要作

デレク・アンド・ザ・ドミノス(Derek & the Dominos)おすすめ名盤『 いとしのレイラ (Layla)』レビュー|エリック・クラプトンが生んだ伝説の名曲収録のブルース・ロック重要作 Classic Rock

Derek & the Dominosの『Layla and Other Assorted Love Songs』は、1970年11月にAtco Recordsからリリースされたデビューかつ唯一のスタジオアルバムだ。

プロデュースはTom Dowdで、マイアミのCriteria Studiosで録音された。

バンド名義でリリースされたこの作品は、ジャケットにもライナーノーツにもClaptonの名前がほとんど記されず、発売当初は英米のチャートにすら入らなかった。それが今日「Claptonのキャリアを定義するアルバム」として語り継がれている。

「デレク」というのはClaptonの変名だ。CreamとBlind Faithという二つのスーパーグループを経て、Claptonは有名税に疲れ果てていた。無名のバンドとして動きたかった——そのための偽名だ。

ところが、このアルバムの中核にある「Layla」という曲は、彼がこれまでで最も個人的な感情を書き記したものだった。匿名と告白が、奇妙な形で共存している。

制作背景

バンドはDelaney & Bonnie and Friendsで共演していたBobby Whitlock(キーボード)、Carl Radle(ベース)、Jim Gordon(ドラム)の3人にClaptonが声をかけて結成された。

1970年春からClaptonとWhitlockはイングランドのClaptonの自宅で曲を書き始め、その後2人でGeorge Harrisonの最初のポスト・ビートルズ・ソロ作品『All Things Must Pass』のレコーディングに参加した。その場がバンドとしての実質的な始まりとなります。

8月下旬、バンドはマイアミのCriteria Studiosへ飛んだ。しかし最初の数日間はセッションが思うように進まなかった。

転機をもたらしたのはDowdの判断だった。同時期に同スタジオでAllman Brothers Bandの『Idlewild South』をプロデュースしていたDowdは、8月26日の夜、ClaptonたちをMiami Beach Convention CenterでのAllman Brothers Bandのコンサートへ連れ出した。

ClaptonはDuane Allmanがステージでプレイするのを初めて目にした。その場でClaptonはステージ前方にいるAllmanと目が合い、Allmanが演奏を止めたという逸話がある。

コンサート後、両バンドはCriteria Studiosに戻り、翌朝2時まで即興で演奏し続けた。ClaptonはAllmanをセッションに招き、Allmanは最終的に14曲中11曲に参加した。

「Layla」という曲名と物語の骨格は、12世紀のペルシャ詩人Nizami Ganjaviによる叙事詩『ライラとマジュヌーンの物語』に由来する。この詩をClaptonに手渡したのは、イスラームへの改宗を準備していた友人のIan Dallasだった。

愛する女性に近づけず、狂気に陥った若者Majnunの物語——それはClaptonの状況と重なった。Claptonが密かに愛していたのはGeorge Harrisonの妻、Pattie Boydだった。

親友の妻への秘めた恋心を、ClaptonはNizamiの物語に重ね合わせて書いた。

当初Claptonはこの曲をバラードとして書いていた。それが「ロック」に変容したのはAllmanの介入による。AllmanがセッションでClaptonのバラードに例の下降リフを弾いた瞬間、曲の性格が一変した。

プロデューサーDowdはこう語っている。「一方が何かを弾くと、もう一方が瞬時に反応した。どちらも『もう一度やってくれ』とは一度も言わなかった。二つの手が一つの手袋に収まるようだった」。

曲の後半——ピアノによるコーダ部分——は数週間後に追加された。Claptonがスタジオに戻ったある夜、Gordonが自分のソロ用に書いていたピアノ小品を弾いていた。Claptonはその旋律に惚れ込み、Gordonを説得して「Layla」の後半として使わせてもらった。

なお、このピアノ旋律はGordonの当時の交際相手Rita Coolidgeが実際に作曲したものだという主張を、Coolidgeは後に繰り返している。

アルバムは発売当初、英国のチャートには一切入らなかった。「Layla」のシングルも1971年3月のリリース時にはBillboard Hot 100で51位止まり。1972年に再発されて初めてトップ10に達した。

音楽性

このアルバムのギターサウンドは、二人が全く異なるアプローチで同じ空間を共有することで生まれている。

ClaptonはFender Stratocasterを使い、音は鋭く、パーカッシブで、切り込んでくる。AllmanはGibson Les Paulをスライドで弾き、音は丸く、持続し、声のように歌う——硝子の破片と暖かな布が同時に存在するような音だ。

Allmanはスライドにコリシジン(鎮痛剤)の瓶を使っていたことで知られています。

Tom Dowdの証言によれば、表題曲「Layla」には6トラックのギターが重ねられている。ClaptonによるリズムトラックひとつとClaptonがメインリフに対してハーモニーを弾いた3トラック、Allmanによるボトルネック・スライドのトラックひとつ、そしてClaptonとAllmanが対位旋律を弾くトラックひとつ——これが7分の曲の中に折り重なっている。

この多層構造が、曲が終わっても音が頭の中に残り続ける理由のひとつだと思っています。

二人のギタースタイルの違いは「Have You Ever Loved a Woman」でよく聴き取れる。Claptonのブレイクは明確でシャープで、B.B. KingやAlbert Kingのブルース語法に直接つながっている。

Allmanのスライドはそれより温かく、フレットボードの上を自由に動き回り、Claptonの硬質な音とは対照的に柔らかく溶けていく感触がある。

楽曲解説

Bell Bottom Blues

アルバム1曲目。ClaptonとWhitlockの共作で、Pattie Boydへの直截的な懇願を描いた曲だ。「Bell Bottom Blues, you made me cry」という書き出しと、サビのユニゾン・ボーカルが耳に刺さる。

後半のClaptonのリードギターは泣き声に近い——抑制とシャウトの境界を行き来するフレーズで、このアルバム全体の感情的なトーンを最初の数分で決定している。

Keep on Growing

アルバム3曲目で、ClaptonとWhitlockの共作。ライブ感の強いアンサンブルが印象的で、Whitlockのボーカルとオルガンが前に出てClaptonとほぼ対等に空間を占有している。

Allmanのスライドはここでは控えめで、曲の隙間を縫うように入ってくる。セッション全体がいかに即興性を保っていたかが伝わってくる1曲だ。

Layla

アルバム10曲目、7分を超える表題曲。制作背景の項に書いた通り、Claptonのバラードにあの下降リフが加わって「ロック」になった曲だ。

Allmanのスライドはボーカルのフレーズに呼応して「問い」と「答え」の関係を作り出す——演奏上の役割分担というより、二人が自然に辿り着いた会話の形だったと思っている。

前半が終わり、突然ピアノのコーダが始まる瞬間の落差は何度聴いても驚く。嵐が過ぎた後の静けさというより、感情が完全に燃え尽きた後の残り火——そういう感触だ。

Allmanはこのコーダ部分でも美しいスライドを弾いていて、それがあるからこそ曲が完全に「終わる」気がする。

Little Wing

アルバム11曲目で、Jimi Hendrixのカバーだ。1970年9月、ClaptonたちがマイアミでこのHendrixカバーを録音したちょうどその頃、Hendrixが死去した。

Claptonはのちに「あのニュースは私を打ちのめした」と語っています。アルバムには追悼の意を込めてこのトラックが収録された。

AllmanのスライドがオリジナルのHendrixのギターに代わる位置に入っていて、HendrixをリスペクトしながらAllmanの個性が滲み出る演奏になっている。

この曲がアルバムに入っていることで、作品全体に「二度と戻らない瞬間の記録」という空気が加わっている気がする。

Thorn Tree in the Garden

アルバムのクローザーで、Whitlockのソロ作品に近い曲だ。アコースティックギターとWhitlockの歌声だけで構成された静かなバラードで、全体を通して最もシンプルな演奏が続く。

このアルバムをここで閉じるのは正しい判断だと思っている。嵐の後に一人残された感触で、余韻がしばらく消えない。

まとめ

1971年10月、Duane Allmanはオートバイ事故で死去した。24歳だった。このアルバムの録音からわずか1年後のことだ。

その翌年、「Layla」はようやくトップ10に入った。

ClaptonはこのアルバムについてBBCのインタビューでこう語っている。「曲そのものにはたいしたものはない、正直に言えば。でも歴史的な文脈の中で、60年代の終わりに、音楽が変わっていくあの時代に、私とGeorgeとPattieという実人生の一コマと重なって、曲が独り歩きした」。

その言葉を素直に受け取ると、このアルバムはどんな名盤の条件も満たしながら、それでも「偶然の産物」として生まれた何かだったと思う。

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