マッシヴ・アタック(Massive Attack)おすすめ名盤『Blue Lines』レビュー|「バンクシーの正体」疑惑のメンバーが作ったトリップ・ホップの原点

マッシヴ・アタック(Massive Attack)おすすめ名盤『Blue Lines』レビュー|「バンクシーの正体」疑惑のメンバーが作ったトリップ・ホップの原点 Trip Hop

Massive Attackの『Blue Lines』は、音楽というより「夜の静寂そのものをデザインした」ような、恐ろしく完成された一枚だと言えるでしょう。

1991年にリリースされた1stアルバム。ヒップホップでもレゲエでもソウルでもない、でもそのすべてが混ざり合った「何か」がブリストルから届いた。

当時はまだ「トリップ・ホップ」なんて言葉もなかったけれど(その言葉が生まれたのは1994年で、Mixmagの記者が初めて使った)、この低速で重厚なビートを浴びた瞬間、世界中のクリエイターたちが「未来の音楽はこれだ」と確信したはずです。

NMEは「スリークで、致命的で、最も洗練された、最も当惑させる1991年のLP」と評し、Rolling Stoneの「最も偉大なアルバム500選」(2020年版)では241位に選出されています。

制作背景

録音はブリストルとロンドンのスタジオを転々としながら、およそ8ヶ月をかけて進められました。

資金と録音場所を提供したのはNeneh CherryとCameron McVeyで、バンドはNeneh Cherryのロンドンのフラット(通称「Cherry Bear Studios」)でも作業を続けた。

Daddy Gはこう振り返っています——「スタジオに入るように尻を叩いたのはNeneh Cherryだよ。彼女なしでは俺たちは存在していなかったかもしれない」と。

アイデアの蓄積は長かった。

3Dはこう語っています——「出発点にあったアイデアの中には7年前のものもあった。『Safe from Harm』はWild Bunchだった頃から存在していた曲だ」と。

つまりこのアルバムは、80年代のブリストルのサウンドシステム文化の集大成でもあります。

共同作曲・共同プロデューサーとしてJonny Dollar(Jonathan Sharp)が参加していて、特に「Unfinished Sympathy」の骨格はDollarなしには存在しなかった。

機材はEnsoniq EPSというキーボードサンプラーと大量のレコードコレクションがほぼすべてです。

「俺たちは楽器を弾く必要がないと思っていた」というのがバンドの核心的な美学で、「Hymn of the Big Wheel」以外の全曲がサンプルベースで構成されています。

影響源としてバンドが挙げるのはPink Floyd、Public Image Ltd、Billy Cobham、Herbie Hancock、Isaac Hayes——「ダンスミュージックでも、頭のためのダンスミュージックを作りたかった」とDaddy Gは語っています。

「Unfinished Sympathy」のリリース時、バンドはまだ「Massive Attack」という名前を使えませんでした。

湾岸戦争の最中だったため「Attack」という単語を含むバンド名での宣伝をレーベルが嫌がった。だからシングルリリース時の名義は「Massive」になっています。

3Dとバンクシー疑惑

このバンドを語る上で触れないわけにはいかない話があります。

メンバーの3D(Robert Del Naja)は、バンクシーの正体ではないかという噂が長年くすぶり続けています。

3D自身は80年代からブリストルのグラフィティシーンで活動していて、バンクシーが「俺が10歳の頃、3Dという子供が街中に絵を描いていた。彼がMassive Attackを結成したのは、彼にとっては良いことだったかもしれないが、街にとっては損失だった」と語っていることも知られています。

さらにジャーナリストのCraig Williamsが、Massive Attackのツアー日程とバンクシーの作品出現場所が世界中で一致するという調査結果を発表したことで、疑惑は一気に広まりました。

トロント、サンフランシスコ、ニューオーリンズ、ニューヨーク——バンドがライブをした直後に、その街にバンクシーが現れる。

3D本人はマーク・トウェインをパロディしながら「自分がバンクシーだという噂は大げさすぎる、残念ながら本当じゃない」と否定しています。

真相は誰も知らない。

ただ「ブリストル出身のグラフィティアーティストが、世界で最も謎めいたストリートアーティストと同一人物かもしれない」というミステリーは、このバンドの音楽的な謎めいた雰囲気と妙にシンクロしていて、個人的には真相より「謎のままでいてほしい」と思っています。

音楽性

スカスカなのに密度が濃い——このアルバムの音の設計をひと言で表すとこれになります。

ソウルの古いレコードをサンプリングして、そこにダブの空間的な広がりを流し込んでいる。

霧が立ち込めた深夜の裏通りを一人で歩いているような、ヒップホップ的な攻撃性とどこか孤独な内省が同時に押し寄せてくる。

このアルバムの音の特徴は「余白の使い方」にあります。

サンプラーで切り出されたドラムループは意図的にローファイで、ビートとビートの間に「隙間」が残されている。

その隙間にダブ的な残響とベースの低音が満ちていく——フロアで踊らせる音楽ではなく、聴く人間の内側に潜り込む音楽という設計思想が、この余白から生まれています。

和声的には、「マイナーキーの中にメジャーコードを忍び込ませる」手法が横断的に機能しています。

「Safe from Harm」はBマイナーを基調にしながら、サビでF#メジャーへ抜ける瞬間に空間が一気に開く。「Unfinished Sympathy」も同様の手法が用いられています。

楽曲解説

Safe from Harm

アルバムのオープニングにして、「逃げられない」という感覚を一発で叩き込む一曲。

Wild Bunch時代から存在していた曲で、3Dによれば「7年前のアイデア」が骨格になっています。

Bマイナーを基調に、ドラムループはBilly CobhamのJazz Fusionの名曲「Stratus」から取られていて、ベースとShara Nelsonのボーカルが重なることで全く別の生き物になっている。

ドラムのスネアが一音鳴るたびに空間が歪むような感覚があって、単なるダンスミュージックじゃないと分かります。

Nelsonのボーカルはアルバム中でも最も力強く、「誰かに危害を加えようとするなら、私がお前を傷つける」という歌詞のむき出しの攻撃性と完全に一致しています。

Unfinished Sympathy

ジャンルを超えた人類の遺産だと思っています。

NMEの1999年の投票で「全時代の偉大な曲」10位、Melody Makerが「1991年シングル・オブ・ザ・イヤー」に選んだ大名曲です。

Dマイナーを基調に、F・G・Dm・B♭という進行がヴァース全体を動かします。

このDマイナーの中で差し込まれるGメジャーが、ストリングスの膨らみと重なって「希望が一瞬だけ射し込む」感覚を作り出している。あの鳥肌の正体はここにある。

曲の誕生は偶然でした。

Nelsonは録音中の休憩で、頭の中をぐるぐるしていたメロディをハミングし始めた——「I know that I’ve imagined love before」という歌詞が形になった瞬間です。

当初ストリングスはシンセで録音していたが、Mushoomはそれを「synth sounded too tacky(シンセはダサすぎた)」と語っています。

そこでプロデューサーJonny DollarがWil Maloneにアレンジと指揮を依頼し、42人編成のオーケストラが弦を録音しました。

MVは監督Baillie WalshがNelsonが実際にロサンゼルスの通りを歩くシーンを一発撮りで撮影したもので、SteadicamオペレーターのDan Kneeceが疲労困憊になるまで6テイクを重ねた。

Daydreaming

ちょっとした遊び心もニクイ曲です。

ラップが軽快に跳ねているようでいて、バックの音響は徹底的に冷ややか。

Trickyの少し鼻にかかったつぶやくようなラップが入ってくると、一気に「危うい空気」に変わる。「心地よいのに、どこか不穏」というバランスが、Massive Attackの真骨頂です。

Shara NelsonとTrickyのボーカルの対比が絶妙で、Nelsonの澄んだソウルフルな声とTrickyのグラウンドに近いスポークンワードが同じトラックに乗ることで、曲が二重の「温度」を持つ。

このアルバムが「ゲスト・ボーカルの集合体」という構造を持ちながら、一枚として統一感を保てているのは、この「温度差の設計」がどの曲でも機能しているからだと思います。

Five Man Army

ヘッドフォンで聴くと脳を直接マッサージされているような気分になる一曲。

ベースが低すぎて、心臓の鼓動と同期してくる。

3D、Tricky、Horace Andyといった個性の強いメンツが次々と現れては消える。

ダブのペダルトーンを基盤に、コードが上で浮遊するという構造は、このアルバムで最もジャマイカ音楽への傾倒が表れていて、「ヒップホップ的な骨格にダブの魂を入れる」というBlue Linesのコンセプトが最も直接的に聴こえる曲です。

Horace Andyはこのアルバムから始まる長期にわたるMassive Attackとのコラボレーションの起点で、後の「Angel」(1998年)に至るまでこのバンドの「幽霊」として機能し続けます。

まとめ

改めて振り返ると、『Blue Lines』は単なる「古い名盤」の枠を完全に超えています。

サンプリングのセンス、音の置き方、余白の持たせ方——すべてが緻密に計算されているのに、血の通った生々しさが消えていない。

今聴いても全く古くない。

というか今のハイレゾ時代に聴くと、あの機材でここまでの空間を描き出していたことに驚愕します。

革新性と普遍性を両立した大傑作です。

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