Beckの『Odelay』って、今聴き返しても「結局これって何だったんだろう?」っていう不思議なワクワク感が全く消えないんですよね。
あのモップみたいな犬がジャンプしてるジャケットそのままに、どこに飛んでいくか分からない自由さがある。
1996年にリリースされた5枚目のアルバム。プロデューサーはDust Brothersで、Beckも共同プロデューサーとしてクレジットされています。
Billboard 200最高16位、Spin誌の1996年年間ベスト1位、グラミー賞最優秀オルタナティブ・ミュージック・アルバムを受賞しました。
ちなみにあのジャケットの犬、ハンガリー原産のコモンドールという犬種で、1977年のアメリカン・ケネル・クラブの機関誌に掲載された写真をそのまま使っています。
タイトルの「Odelay」はスペイン語スラングの「órale(オーラレ)」の音訳で、「クール」とか「いいね」みたいな意味。
ただPavementのStephen Malkmusは「Oh Delay(遅延)のパンだ」と評しています。実際この録音、ほぼ2年かかったので(笑)。
制作背景
このアルバム、実は最初から今の形を目指して作られたわけじゃないんですよ。
Beckは最初、アコースティックなフォーク・アルバムを作ろうとしていた。ほぼ完成まで持っていったけど、最終的には丸ごとお蔵入りにしています(その残骸がアルバム・ラストの「Ramshackle」に聴こえます)。
方向転換のきっかけはDust Brothersとの出会いでした。
Beastie Boysの『Paul’s Boutique』を作ったサンプリングの達人2人組が、ロサンゼルスのスタジオでBeckのライブを観て「会いたい」と声をかけた。
Beckはそこに変なレコードを小脇に抱えてふらっと現れた。
「ドアを開けたら一緒に音楽を聴き始めて、趣味が全く同じだと気づいた」とDust BrothersのMike Simpsonは振り返っています。
この録音には「正しく弾かなくていい、かっこよく弾け」という方針が徹底されていました。
Simpsonはこう言っています——「俺たちが欲しいのは一番いいバーだけ。それをループする。最高の音楽は間違いから生まれる」。
ドラムはほぼ全曲サンプルで作られています。
Beckはこう語っています——「当時のドラム録音ってボワボワしてた。俺たちが好きなのは60〜70年代の重くて乾いたソウルの音だった」。
さらにMoogシンセを大量に使っているのもこのアルバムの特徴で、「当時Moogを使ってたのはStereolabと一部のインディバンドだけで、リサイクルショップに60ドルで転がってた。1台壊れたら次を買いに行く感じで山積みにしてた」とBeckは語っています。
録音中に使っていたPro Toolsがとにかく原始的すぎて、1テイク録るたびにコンピューターのデータ処理に30分かかった。
しかもデータが消えることも頻繁にあって、「毎回消えないように祈ってた」とBeck本人が明かしています。
当時Geffen RecordsはBeckを「Loserの一発屋」としか思っていなくて、誰も見ていなかった。
「誰も俺たちに期待してなかったから、自由にやれた」とSimpsonは笑いながら振り返っています。
その「誰も見ていない環境」が、このアルバムの実験的な自由さを生んだ。
サンプリング技法
このアルバムの音の作り方の核心は、「素材の出自と文脈をずらす」技術にあります。
ただ古いレコードをそのまま貼り付けるのではなく、もともとの文脈から引き剥がして別の文脈に置き直す——その操作が、「聴いたことがある気がするのに、こんな音は聴いたことがない」という感触を生み出しています。
具体的には3つのアプローチが使われています。
まず「ループの選択」。Simpsonが言う「一番いいバー」を探し出す作業で、元の曲から数秒を切り取り、その断片が持つグルーヴだけを取り出す。
次に「ピッチとテンポの変換」。元の素材を別のキーやテンポに合わせるとき、わずかなずれをそのまま残すことがある——完璧に揃えると「サンプルらしさ」が消えてしまうからです。
そして「レイヤーの設計」。ドラム・ループの上にベース・ライン、さらにギターのリフ、ボーカル・サンプル、効果音が積み重なっていくとき、各レイヤーの音量と距離感を変えることで「立体的な奥行き」が生まれます。
『Paul’s Boutique』との違いはここにあります。
あのアルバムはサンプルを「コラージュ」として素材自体に価値を見出す設計でしたが、『Odelay』では素材が何であるかより、「その音がどう聴こえるか」が優先されている。
だから出典を知らなくても楽しめるし、出典を知ると「なるほど」と思う——その両方が成立しています。
楽曲解説
Devil’s Haircut
一番有名な曲ですよね。あの歪んだギターのリフだけで勝ち。
歌詞の意味は正直よくわからないけど、あのザラついた音の質感が妙に都会の路地裏っぽくてカッコいい。
あのリフのサンプル元はVan MorrisonのバンドThemが演奏した「I Can Only Give You Everything」で、ドラム・ループはThemがカバーしたJames Brownの「Out of Sight」から来ています。
2つのサンプルが同じバンドの音源から来ているのに、まったく別の質感として聴こえる——ここにDust Brothersの「素材の再配置」技術が凝縮されています。
スピードをわずかに変え、EQで帯域を削ることで、1966年録音のバンド音が1996年の都市のロックとして蘇っています。
The New Pollution
60年代のポップスみたいな懐かしさと、ヒップホップのビートが混ざってて、聴いてるだけで部屋がちょっとオシャレな空間に変わるような気がします。
どこか音がスカスカというか、完璧に整いすぎてない「抜け感」がある。
その隙間に、Beckの少し気だるいボーカルが絶妙にハマる。
この「抜け感」は意図的なもので、Moogシンセによるコードのレイヤーを意図的に薄くして「詰め込まない」ことでストリングスっぽい音とビートの間に空白を作っています。
1960年代の4チャンネル録音の持つ「隙間感」を、録音技法のレベルで模倣している。
超絶スタイリッシュなのに、どこかブレていて隙がある——あの感触の正体はここにあります。
Jack-Ass
意外と泣けるんですよね。カントリー調のゆったりした曲で、サンプリングされた古い音が使い古された毛布みたいに温かくて。
夜中に一人で聴いていると、自分の情けない部分も全部許してもらえるような変な安心感があります。
この温かさの正体は、Bob DylanのフォークをThemがカバーした「It’s All Over Now, Baby Blue」のサンプルです。
DylanのオリジナルをVan Morrisonのバンドがカバーし、そのカバーをBeckがサンプルして別の曲を作った——2重のカバー関係が音に宿っている。
「ガラクタを集めて宝物にする」感じこそBeckの真骨頂だと思うけど、この曲ではそれが最も優しい形で出ています。
Where It’s At
「マイクが2つとターンテーブル」というフレーズも今となっては伝説的。
あの曲のボーカル・サンプル「Sex For Teens (Where It’s At)」は60年代の性教育アルバムから取られていて、そのタイトルをそのまま曲名に使ったわけですね(笑)。
この曲のサンプリングで面白いのは、オルガンのメロディとハンドクラップのリズムです。
ヒップホップとソウルの文法を組み合わせてループを設計しながら、曲の途中でいきなりロボット・ボイスと電子ドラムに切り替わる。
「居心地よくなったところで裏切る」という構造が、Beckの「聴き手を一か所に留まらせない」美学の最もストレートな表れです。
まとめ
「ポストモダンの傑作」なんて難しい評価もされてましたけど、私にとっては単純に「聴いてて気持ちいいけどよくわからないロック」でした。
理屈で分析するのも楽しいけど、やっぱり「なんか面白い音が鳴ってるな」ってニヤニヤしながら聴くのが一番正しい付き合い方なんだと思います。
「俺はOdelayが最後のレコードになるかもしれないと思っていた」とBeckは後に語っています。
一発屋扱いされながら、誰も見ていない場所で、壊れたMoogと原始的なPro Toolsで作った一枚が、30年後も「何だったんだろう?」と思わせ続けている。
今のサブスク時代の「何でもあり」な感覚を、1996年に既に完璧な形で提示していた——それがこのアルバムの正体だと思います。

