American Footballの『American Football』(1999年)は、音楽というより「1999年の夏が終わり、大学を卒業する直前の、あの言いようのない寂しさ」をそのまま閉じ込めたタイムカプセルのようなアルバムです。
Polyvinyl Recordsから1999年9月にリリースされた、Mike Kinsella(ボーカル・ギター・ベース)、Steve Holmes(ギター・ワールリッツァー)、Steve Lamos(ドラム・トランペット)の3人によるデビュー作。
後に「LP1」と呼ばれるこの一枚は、リリース当時はほとんど話題にならなかった。
それが25年後の今も、世界中のリスナーが「アメフトの家」の写真を見るためにイリノイ州を訪れ続けています。
初めて聴いたとき、派手なカタルシスは何もないのに、胸の奥をずっと指でなぞられているような不思議な中毒性に動けなくなったのを覚えています。
その感触がどこから来るのか、聴けば聴くほど謎が深まる。それが今もこのアルバムを手放せない理由です。
制作背景
バンドの始まりは1997年、イリノイ大学在学中のKinsella、Holmes、Lamosが集まったことでした。
KinsellaはCap’n Jazというシカゴのバンドでドラムを叩いていた人物で、アメリカのミッドウェスト・エモ史においてすでに重要な位置にいた。
Holmesは高校時代からKinsellaの友人で、ルームメイトでもあった。LamosはHolmesとジャムセッションをしていたところにKinsellaが「自分も何か足せる」と合流した。
3人が最初に作った曲はインストゥルメンタルの「Five Silent Miles」。
当時2人が熱心に聴いていたのがSteve Reichで、2本のギターの絡み合い——位相のずれたフレーズが少しずつ重なっていく手法——を自分たちの音楽に取り込もうとしていた。
オープン・チューニングへの入り口はNick DrakeとRed House Paintersで、HolmesとKinsellaはそこで「一曲ずつ違うチューニングで書ける」という発想を得た。
LamosはWeather ReportやMiles Davisといったジャズ・フュージョンをバンドに持ち込み、アルバム各所に響くトランペットはその痕跡です。
アルバムの録音は1999年5月、大学を卒業する直前の「文字通り最後の4日間」に行われました。
Kinsellaは「2人のメンバーが実家に帰る前の、最後の4日間だった」と語っています。
プロデューサーはBrendan Gamble——BraidやMoon Seven Timesのプロデュースで知られるイリノイ州のエンジニアで、バンドの自主制作EPも手がけていた人物です。
「本質的にはガレージだった」とKinsellaが語る環境で、録音はADATテープに行われ、TASCAMのデジタルテープデッキでミックスされた。
アルバムの9曲は全て異なるチューニングで演奏されています。
KinsellaはCap’n Jazz時代にFACGCE(オープンFメジャー9th)チューニングに出会ったことが転機になったと語っていて、「標準チューニングでは押さえられないコードが鳴らせる——それが興奮だった。自分はそんなに技術的にうまくないが、音楽をどう鳴らすかは耳で分かる」と述べています。
標準チューニングに縛られず「カッコよく聴こえる場所を耳で探す」という直感的なプロセスで曲が作られた。
そのためライヴでは曲間にチューニングで数分かかることが多かった。
Kinsellaがメインボーカルになったのは「あのfast pickyなパートを弾きながら同時に歌えなかった」というHolmesの発言による——つまり歌えるKinsellaがギターを担当し、Holmesは複雑なギターパートに専念した。
バンドはアルバムが完成した時点で、すでに解散することを知っていた。
Kinsellaは「野心的な目標なんてなかった。夏中ツアーしたいとも思っていなかった」と語っています。
Pitchforkのレビュアー、Ian Cohenは「このアルバムは、バンドがほとんど自己紹介もしないうちに自分たちへの別れの言葉になった」と書いた。
その「もう終わりだとわかっていた4日間」に録音されたこと——それがアルバム全体を貫く「静かな諦念」の正体のひとつだと思います。
音楽性
Pitchforkのレビュアー、Ian Cohenはこのアルバムを「Cap’n Jazが形作ったミッドウェストのシーンへの反発——エモの血脈をハードコアからミニマリストなジャズと瞑想的なマス・ロックへと向け直したもの」と評しています。
当時のエモの主流は激しく叫ぶスタイルだった。
それに対してAmerican Footballがやったのは、囁くような歌声と、ジャズのリズム感覚と、Steve Reichから学んだ反復と位相のずれを組み合わせた、全く別の方法でした。
和声的に見ると、このアルバムの各曲は全て異なるオープン・チューニングを使っていて、標準チューニングでは出せない開放弦の倍音が重なる響きを持っています。
「Never Meant」はFACGCE——オープンFメジャー9thチューニング——で、2本のギターが同じコードを微妙にずらしたタイミングで弾くことで、コードが空間に溶けていくような浮遊感が生まれる。
根音をベースに据えない転回形の和音が多く、「どこにも着地しない宙吊りの感触」が全体を貫いている——「割り切れなさ」という感情のテーマと、音がそのままつながっている。
リズムとグルーヴの設計がこのアルバムの核心です。
「Never Meant」の6/4拍子をはじめ、曲によって異なる変拍子が使われていて、2本のギターとドラムがそれぞれ独立したリズム上のフレーズを並走させる場面がある。
「数学的」と形容されることが多いが、実際には計算して設計したというより、LamosとKinsellaが「音楽的な合図だけを頼りにタイミングを合わせていた」とLamos本人が語っている。
Lamosが後年ライヴ映像に合わせて自分のドラムを再現しようとした際「AIで自分のドラムを消して、1から叩き直そうとしたが、本当に難しかった」と述べていて、当時「ライヴ一発録り」で生まれたグルーヴが後から再現できないほど有機的なものだったことがわかる。
後続の音楽への影響は広く、深い。
2010年代のエモ・リバイバルと呼ばれる世代は、このアルバムが示した「叫ばない、でも壊れそうなほど繊細なエモ」の方法論をそのまま受け取っています。
さらに直近ではFACGCEというチューニングそのものがミッドウェスト・エモのシーンにおける標準的な語彙になっていて、ギタリストのYvette YoungはAmerican Footballへの影響を認めつつこのチューニングを使い続けています。
Polyvinylの共同創設者Matt Lunfordは「LP1はただ有機的に発見され続け、バンドに影響を与え続け、再発見され続けた」と語っています。
楽曲解説
Never Meant
アルバムの中で最も広く知られる曲で、ミッドウェスト・エモを代表する一曲として語られます。「言うつもりじゃなかったことが、言えないことになってしまった」という、関係の終わりの手前の感触をテーマにしています。
チューニングはFACGCE——オープンFメジャー9thで、このチューニングはその後ミッドウェスト・エモの定番として広まっていきます。
イントロは2本のギターがフレーズを交互に繰り出す構造で、1本が先に動き、もう1本がそれを受けて重なる——Steve Reichのフェイジング技法をエモの文脈に翻訳したような書法です。
曲は6/4拍子を基本とした変拍子構造を持っていて、ドラムが軸を保ちながら2本のギターが時間のズレを作っていく。
その「少しずつ時間が歪んでいくような感覚」こそが、この曲をこんなにも説得力のあるものにしている。
Kinsellaが「言うべきでなかったことがあった」と歌う部分で、ギターが一瞬静止するように聴こえる——後悔の瞬間を音で止めるような動きで、歌詞と音が同じ動作をしている。
2014年のMVはジャケット写真を手がけたChris Strongが監督し、「1999年頃の大学の終わりに起きた短い恋の物語」を描いた内容でした。
Honestly?
個人的に「一番人間くさいな」と思う曲です。
冒頭は比較的シンプルな進行で始まるが、2分を過ぎた辺りから曲が別の何かに変容していく。
Lamosのドラムがタムとスネアの変則的な配置で複雑なグルーヴを作り出し、ギターが拍子感の揺れるリフを重ねていく。
「本当の気持ちを隠し通せない」もどかしさ——歌詞に直接書かれていることよりも、リズムのタメと予測不能な展開のほうが、よっぽど正直にその感情を鳴らしている。
「Honestly?」というタイトルのクエスチョンマークは「本当にそう思っているのか自分でも確信が持てない」という宙吊りの状態を示しているように聴こえる。
6分間の後半は純粋なインストゥルメンタルの展開で、言葉が終わった後も感情が音の中でループし続けます。
For Sure
このアルバムの中で最も「静寂」に近い曲の一つ。
Kinsellaの声はほとんど環境音のように溶け込んでいて、ギターとLamosのトランペットが主役になっています。
トランペットが入る——これは1999年のエモの文脈では完全に異質な選択でした。
LamosはMiles Davisへの傾倒からトランペットを持ち込んだが、ジャズの「演奏」としてではなく、霧の中から聴こえてくるような、メロディの輪郭を曖昧にするための音として使っている。
言葉がないからこそ、ギターとトランペットの響きが饒舌に語りかけてくる——「去らなきゃいけないのに、踏み出せない」というモラトリアムの感触が、言葉を拒否したまま音の中にある。
You Know I Should Be Leaving Soon
タイトルそのものが、このアルバム全体のテーマを一言で言い切っている。「もう行かなきゃいけないのはわかっている」——でも行かない。
「For Sure」と同様にLamosのトランペットが使われていて、その音色がアルバム後半の「出発できない感覚」を繋ぎ合わせています。
曲の構造は繰り返しを避けていて、各セクションが一度だけ現れて次に進んでいく——同じ場所に戻らない音楽の設計が「もう帰れない」という感触と重なる。
和声的には解決を保留したまま次のフレーズに移る動きが多く、着地の感触がないままフェードしていく終わり方が、このアルバムで最も「静かな諦念」に近い瞬間のひとつです。
The One With the Wurlitzer
アルバムの最後を飾る一曲。
Holmesが弾くワールリッツァー(電気ピアノ)と、Lamosのトランペット、そして静かなギターとドラム——このアルバムで最も楽器編成がシンプルで、最も言葉が少ない曲です。
LamosはMiles Davisへの傾倒から「ある種のジャズを感じさせる終わり方にしたかった」と語っていて、トランペットの音色がその気持ちをそのまま鳴らしている。
劇的なクライマックスも感情の爆発もなく、ただフェードアウトしていく——「日常はこれからも続いていく」という、ハッピーエンドでも悲劇でもない余韻。
この「未解決のままの美しさ」が、何度もリピートしてしまう理由です。
全9曲を聴き終えてこの曲に辿り着いたとき、知らないはずのイリノイ州の景色が自分の故郷のように感じられることがある——不思議だし、少し怖い。
まとめ
「ただの幸運だよ」——Kinsellaは再結成後のインタビューでアルバムの評価についてそう語っています。
4日間で録り、解散して、忘れられた。
それが25年かけて「ミッドウェスト・エモの聖典」になった。
2014年にデラックス版の再発を発表したとき、Polyvinylのサイトはアクセスが集中してダウンし、Billboard 200で68位まで上昇した。
一度は解散したバンドが2014年に再結成して世界中で歓迎されたのは、このアルバムが「いつまでも大人になれない私たち」の感情に寄り添い続けていたからだと思います。
Holmesは25周年のインタビューでこう語っています——「14歳から24歳の間にいる人なら誰でも、最初の恋や失恋を経験し、人生の一つのステージから次のステージへの入り口に立っている。そのテーマがアルバム全体に共鳴している」。
そのテーマが、国も世代も越えて伝わり続けている。

