J Dillaの『Donuts』(2006年)は、2006年2月7日——James Dewitt Yancey、32歳の誕生日——にStones Throw Recordsからリリースされた。その3日後、Dillaは亡くなった。
誕生日と死の3日間に挟まれたこのアルバムは、今や「あなたが好きなプロデューサーが好きなプロデューサー」という言葉と共に語られ、彼のMPC-3000はスミソニアン博物館に収蔵されています。
31曲、43分。ラッパーは誰もいない。全曲インストゥルメンタル。それでも、これほど多くのことを語りかけてくるアルバムは無い。
制作背景
Dillaは1990年代後半、デトロイトのSlum Villageから出発し、A Tribe Called Quest、The Pharcyde、Common、Erykah Badu、D’Angelo、The Rootsといったアーティストのビートを手がけた。2005年にはロサンゼルスのCedars-Sinai Medical Centerに長期入院することになった。
アルバムの形を整えたのはStones ThrowのアートディレクターJeff Jankでした。もともとDillaが持っていた27曲入りのビートテープを、Jankが編集・追加して31曲・43分のアルバム形式に仕上げた。
Dillaの母親Maureen「Ma Dukes」Yanceyはクラシックとジャズの訓練を受けたボーカリストで、息子のそばにいるためロサンゼルスへ移った。毎週45回転レコードの箱を持ち込み、MPC、ターンテーブル、Powerbookが病院のベッドの周囲に置かれた。Dillaの手が腫れて機材を操作できなくなると、Maureen が指を一本ずつマッサージした。
主治医に「このアルバムを誇りに思っている、仕上げることだけを考えている」と語ったとも伝えられています。最終的に2006年2月7日——Dillaの32歳の誕生日——に発売された。その3日後に心臓が止まった。
音楽性
このアルバムを語るとき、「クォンタイズをかけない」という話が必ず出てきます。Dillaはドラムのタイミングを数学的なグリッドに揃える処理を意図的に使わなかった——あるいは、ずらした位置でかけた。
ドラムが拍の真上に乗らず、少し早く来たり遅れたりする。その揺れが「Dilla Bounce」あるいは「Dilla Time」と呼ばれるグルーヴで、聴いた人間の身体が前後に揺れる感覚を生む。直線的なグリッドでも三連符でも説明できない、中間に宙吊りになったような時間感覚です。
サンプリングの密度と多様性も際立っています。Jackson 5、Isley Brothers、Dionne Warwick、10cc、Mantronixなど34のサンプルが引用されている。これらを原形をとどめないまでにチョップし、ピッチを変え、テンポを操作する。元の素材が持っていた感情の核だけを取り出して再配置する。
最後の曲「Last Donut of the Night」は最初の曲「Workinonit」へとシームレスにループする——アルバムは円環を形成していて、文字通り終わらない。ドーナツの形そのものです。
後続アーティストへの影響は広範です。Flying Lotus、Knxwledge、Kaytranada、Kendrick Lamar、Anderson .Paak——Dillaを直接引用しないアーティストでも、「あの緩みのある時間感覚」はヒップホップの共通言語になっていった。
楽曲解説
Workinonit
アルバムの1曲目。Mantronixと10ccをチョップしたサイレン状のギター・ループが鳴り響く——「パニック発作にヘッドノブが付いたような」とレビュアーが形容した冒頭です。
「Workinonit」というタイトル自体が「今まさに作業中」という現在進行形で、制作過程そのものを宣言している。10ccのボーカル・サンプルを聴き取ると、「play me(流してくれ)」「buy me(買ってくれ)」という言葉が聞こえる——Dillaがリスナーにこのアルバムを聴いてほしいという直接の訴えとして読める。
Time: The Donut of the Heart
Jackson 5の「All I Do Is Think of You」をクロールするほど遅く引き伸ばし、マイケルのファルセットを幽霊のような音域に落とした一曲。ドラムが不規則な心拍のように打ち、その上で変容したボーカルが漂っている。
「時間:心のドーナツ」というタイトルは、このアルバム全体の哲学を凝縮しています。オリジナルの曲の喜びの感触は残っていて、でも何かに引き伸ばされて遠くなっている。その「遠さ」が、このアルバムを聴く体験の核心にあります。
Stop
Dionne Warwickの「Do You Know the Way to San Jose」の問いかけが、見知らぬ街を夜中に車で走りながら帰り道がわからなくなっている感触に変換された曲です。
サンプルの加工は最小限で、元の音楽が持っていた感情が直接皮膚に触れてくる感触がある。「止まれ」というタイトルの意味は聴く人によって変わると思います——Dilla自身への命令なのか、リスナーへの呼びかけなのか。どちらにも聴こえる。
Bye.
Isley Brothersをフリップした一曲で、アルバムの中で最もストレートに「別れ」を告げている。タイトルのピリオドが全てを言っている——文章の終わり、会話の終わり。
Dillaが「I want to feel you」という歌詞を「I feel you」に加工して、現在形に変えている——切望から肯定へ、未来から今へ。柔らかいメロディに、ドラムが打ち続ける。その「続いていく」感触と「Bye.」というタイトルの矛盾が、このアルバムで最も胸に刺さる瞬間のひとつです。
Last Donut of the Night
アルバムの最後を飾る曲で、豊かな弦とギターのループが続く。「パーティーが終わって何時間も経ったのに、まだ駐車場に座っている感覚」とレビュアーが書いたその形容が正確です。
この曲が終わると「Workinonit」の冒頭へとシームレスにループする——アルバムは終わらない。Dillaの音楽は彼の死後もループし続けている。その構造が、このアルバムの最も正直な自己評価だと思います。
まとめ
EMIは当初「1万枚以上は売れない」と配給を拒否した。今となっては信じられない。
32歳の誕生日に届けて、3日後に去っていった人間が残したものとして聴くと、31曲43分の密度がまるで違って迫ってくる。でも、その文脈を取り去っても音楽は成立している。それがDillaの才能の証です。

