boygenius の『the record』は、2023年3月にリリースされたデビュー・フルレングス・アルバムだ。Julien Baker(ボーカル・ギター)、Phoebe Bridgers(ボーカル・ギター)、Lucy Dacus(ボーカル・ギター)の3人によるスーパーグループで、Catherine Marks との共同プロデュース。前作 EP から5年ぶりとなる本作は、Metacritic で94点。グラミー賞ではベスト・オルタナティブ・ミュージック・アルバムを受賞し、UK アルバム・チャートで1位を記録した。
「バンドを作ろう」と言い出したのは誰でもなかった。2018年、3人は共同ヘッドライン・ツアーを組み、シングルかカバーを1曲録ろうという話になった。ところが集まった途端にアイデアが止まらなくなり、4日間で6曲を自己プロデュースし、EP を完成させた。「バンドになっていた」と Bridgers は言っている。
その後3人はそれぞれのソロ活動に戻り、Bridgers は『Punisher』(2020年)、Baker は『Little Oblivions』(2021年)、Dacus は『Home Video』(2021年)をリリースした。それぞれが個人として批評的評価の頂点を迎えた後に、このアルバムが生まれた。
制作背景
再結成のきっかけは Bridgers が書いた「Emily I’m Sorry」のデモだった。『Punisher』リリース直後、Bridgers はそのデモを Baker と Dacus に送り、「また一緒にバンドをやれないか」と書いた。「3人とも、自分が一番乗り気で、相手は冷めているんじゃないかと思っていた」と Bridgers は笑っている。
録音は2022年1月、マリブで1ヶ月にわたって行われた。3人は毎日10時間のセッションを重ね、共同プロデューサーの Catherine Marks が加わった。Marks の役割は「誰の意見にも優劣をつけず、3人が平等に発言できる環境を作ること」だったと彼女は語っている。
ソングライティングはすべて3人共同のクレジットだが、実際の分担は曲ごとに異なる。歌詞のブックレットには、どの行を誰が書いたかが手書きの筆跡で色分けされている。「アルバムの前半は、3人で共有する前からほぼ完成していた曲が多い。後半はこの制作プロセス自体と、3人の絆から生まれた」と Bridgers は語っている。
「We’re in Love」は Baker が「センチメンタルすぎてアルバムから外したい」と主張した曲だ。「過度に優しい感触が、自分には少し怖い」と彼女は説明した。しかし残った。後日、3人で車の中でこの曲を聴いたとき、Dacus と Bridgers は手を握り合っていた——Baker はそのエピソードを語りながら「今はアルバムで一番好きな曲かもしれない」と言っている。
音楽性
3人それぞれがインディ・フォーク、エモ、オルタナティブ・ロックのソロ作品を持ちながら、boygenius としての音はどれとも違う。3つの声が重なることで生まれる「ハーモニーが主役になる瞬間」が、このバンドのサウンドの核だ。
アルバムの前半は各メンバーのソロ作品の延長線上にある曲が並ぶ——「$20」は Baker 主導、「Emily I’m Sorry」は Bridgers、「True Blue」は Dacus が書いた。そこに他の2人の声が加わることで、まったく別の次元に達している。後半になるにつれ、3人の声と書き方が溶け合っていく。
ただ正直に言えば、前半と後半で質感がやや異なる。前半の完成度が高い分、「これは boygenius の曲なのか」という問いが残る曲もある。後半になって初めて「3人でしか作れない音」が顔を出す——その構造は意図的だが、アルバム全体を通して聴くと、前半のほうが個々のソロ作品に近い印象を受ける。
Baker はこう語っている。「このバンドでは、ソロ作品では持てない種類の野心がある。自分が愛する、史上最高のソングライターたちと一緒に作っているから」と。その言葉通りの音楽が、後半にある。
楽曲解説
$20
Baker 主導のオープナー。アコースティック・ギターのアルペジオが静かに始まり、3人の声が重なっていく。「20ドルを持って、あなたのところへ行けるかな」という歌詞は、シンプルな言葉で距離と愛着の感覚を作り出す。
Baker の声が単独で歌い始め、Dacus と Bridgers が加わる瞬間——そこでこのバンドが何者かが一瞬で伝わる。3つの声が重なったとき、それぞれのソロとは別の「第4の声」が生まれる感触がある。
Emily I’m Sorry
Bridgers がパンデミック中に書き、このアルバムの再結成のきっかけとなった曲。「Emily、ごめん」という謝罪を繰り返しながら、理由を明かさない。その不完全さが、謝罪というものの本質をとらえている。
コーラスで3人の声が重なる場面——「I’m sorry I’m not stronger」——が、「Not Strong Enough」のテーマと静かに繋がっている。
Not Strong Enough
「自分がいかに壊れているか」を自嘲しながら、その壊れ方が「自分は特別に壊れている」という傲慢さと同居している——その矛盾を正直に書いた曲だ。Bridgers は Sheryl Crow の「Strong Enough」(1994年)を意識してこの歌詞を書いたと語っている。
ブリッジで Dacus が「always an angel, never a god」と繰り返す——「いつも天使、決して神にはなれない」。女性に向けられる「純粋さを保て」という圧力を、この一行で引き受けて返す。グラミー賞のベスト・ロック・ソングとベスト・ロック・パフォーマンスをダブル受賞した。
We’re in Love
Baker が「センチメンタルすぎる」と言って外したがった曲。「あなたを愛している」という言葉を、これほど単純に、これほど正直に歌った曲はこのアルバムに他にない。その単純さが怖かったという Baker の感覚は、正直だと思う。
でも結果として、この曲がアルバムを最も柔らかい場所で支えている。3人が友人として愛し合っているという事実がそのまま音になった——そういう曲だ。
まとめ
「私たちが3人で並んでいるところを見て、競争しなくていいと分かってほしい。自分が尊敬する人と、一緒に何か良いものを作ればいい」と Dacus は言っている。
3人それぞれがすでに最高のソングライターだった。でもこのアルバムは、3人が一緒のときにしか作れなかった。それだけのことだが、それで十分だ。