Steely Dan の『Aja』は、1977年にリリースされた6枚目のスタジオアルバムだ。全7曲、総収録時間39分。
Billboard Top LPs & Tapes チャートで最高3位。1978年のグラミー賞では最優秀エンジニアリング・レコーディング賞を受賞し、アルバム・オブ・ザ・イヤーにもノミネートされた。2010年には米国議会図書館の国家録音登録簿に「文化的・歴史的・審美的に重要な作品」として登録されている。
Becker はのちに「Aja は危険なほど野心的だったと思う。本当にそう思った」と語っている。
制作背景
7曲に30名以上、最大40名近いミュージシャンと歌手が参加した。ドラマーに Bernard Purdie、Rick Marotta、Steve Gadd、ギタリストに Larry Carlton、Dean Parks、Jay Graydon、ベーシストに Chuck Rainey——当時の LA と NY のスタジオ・シーンの「誰が誰か」一覧と言っていい布陣だ。
制作の象徴的なエピソードが、タイトル曲「Aja」のドラム・レコーディングだ。Steve Gadd は7分に及ぶ複雑な楽曲を初見で演奏し、ドラム・ソロを含む全体をわずか2テイクで決めた。Fagen は当時「私は驚愕した。誰もそんなことをしたことがなかった。信じられなかった」と語っている。
一方「Peg」のギター・ソロでは十数テイク以上が録られ、Jay Graydon のテイクが採用されるまで Becker と Fagen は多数のギタリストの演奏を退けた。Classic Albums のドキュメンタリーでその却下されたソロを聴き返す場面は、ふたりの耳の峻厳さを端的に示している。
「Home at Last」のドラムについては、Purdie 本人が Classic Albums でこう証言している。「彼らはシャッフルを望んでいなかった。モータウンもシカゴも要らないと言われた。でも何が欲しいかはわからなかった——ハーフタイムが欲しいとだけ言われた。私は言った、じゃあ Purdie Shuffle をやろうと」。求められていないものを提示し、それが唯一正解だったという逆説がこの曲のグルーヴの核心にある。
音楽性
和声分析
本作の和声設計を語るうえで避けられないのが「Mu Major コード」だ。メジャー・トライアドに長2度を加えたコードで、Steely Dan 研究者の Howard Wright が命名した。
このコードの使用頻度と特定のボイシングの選択において、Becker と Fagen は他に類を見ない一貫性を示しており、そのボイシングが Steely Dan のサウンドの「指紋」を作っている。本作では「Deacon Blues」と「Black Cow」で特に顕著に聴こえる。
「Deacon Blues」のイントロにはこの Mu Major を含む複数のコード・ヴォイシングが連続する。「本作のコードを楽譜で見ると、シンプルなメジャーやマイナーはほとんど出てこない。6度、7度、9度、13度——『Deacon Blues』のイントロだけで、世界のポップ・ソングの99%より多くのコード変化が詰まっている」という指摘は誇張ではない。
ただし Fagen は「ジャズとロックを合成する気はない」と1974年に語っており、あくまでもポップとロックのフォーマットを維持しながら内側に複雑な和声を組み込む手法を取っている。
リズム・グルーヴの特徴
本作のリズムが他と根本的に異なるのは「ビートの重心の置き方」だ。Purdie Shuffle はスネアとバスドラムとハイハットをシンコペーションによって絡ませ、ビートが「前のめり」でも「後ろがち」でもなく、浮力を持って前進する感覚を生む。
Jeff Porcaro が「Rosanna」のビートを Purdie のこの奏法から着想したことは広く知られており、後の80年代ポップとロックのリズム設計に具体的な影響を与えた。
曲ごとにドラマーを替えるという選択も、アルバムのリズム多様性に直結している。Steve Gadd は「Aja」、Bernard Purdie は「Deacon Blues」と「Home at Last」、Rick Marotta は「Peg」——7曲それぞれに異なる奏者を配している。Chuck Rainey が「Deacon Blues」以外の全曲でベースを担当し、グルーヴの連続性を担保する唯一の定点として機能した。
楽曲解説
Black Cow
浮気をした恋人を許すのか断ち切るのかという心理的葛藤を、「ブラック・カウ」(チョコレート・ソーダにバニラアイスを浮かべたカクテル)を飲みながら語る一人称の物語だ。
Joe Sample の Fender Rhodes、Tom Scott のホーン・アレンジ、そして複数の女性コーラスが重なる序盤の38秒——その密度は「感嘆と称賛で頭を振らずにはいられない」と評された通りだ。
Paul Humphrey のドラムは控えめで、リズムを「押す」のではなく「支える」役割に徹している。その余白に Fender Rhodes のなめらかなコード・ヴォイシングと、Tom Scott のホーンが滑り込む。Becker はこのトラックでベースもギターも弾いていない——Chuck Rainey ひとりに任せた。その信頼の余裕が、曲全体のゆとりに反映されている。
Aja
アルバムの中核にして頂点。Becker は「その年は本当に運が良いと感じていて、もっと長いものを試したかった」と語り、曲を「時間と空間の旅」と表現した。
曲の構成は大きく3つに分かれる——ボーカル・セクション、Wayne Shorter のテナー・サックス・ソロ、Steve Gadd のドラム・ソロを含むヴァンプ・セクション。Gadd は複雑な7分のチャートを初見で演奏し、ソロを含む全体を2テイクで仕上げた。
Shorter のソロについてジャズ批評家 Ben Sidran は「ポップ音楽が突然左に曲がった瞬間」と評した。Shorter 自身は Miles Davis のもとで培ったモーダルな即興演奏の語法をそのまま持ち込んでいる。計算し尽くされたアレンジの中に、真の即興演奏が一箇所だけある——それがこのアルバムに「生きている」という感触を与えている。
Deacon Blues
アルバム最長曲にして、多くのリスナーが「Steely Dan とはこういうバンドだ」と感じる曲だ。語り手は「They call Alabama the Crimson Tide / Call me Deacon Blues(彼らはアラバマをクリムゾン・タイドと呼ぶ、私をデーコン・ブルースと呼べ)」と歌う。
Becker はこの歌詞を「神話的な敗者のあり方——プロのミュージシャンになることがいかにつらいか」についての曲だと語っている。
Pete Christlieb のサックスは Lou Reed が「嫌になるほど美しい」と評したソロを展開し、曲のフェードアウトを担う。Mu Major コードが「Deacon Blues」の和声の核にあり、そのコードが生む「明るいのにどこか揺らいでいる」色彩が、歌詞の「敗者の中に輝きがある」という逆説と一致する。これは偶然ではない。
Peg
アルバム最大のヒット・シングルで、Michael McDonald のバッキング・ボーカルが最も印象的に機能する曲だ。Chuck Rainey と Rick Marotta のリズム・セクションはファンキーで前のめりで、Fagen の抑制されたボーカルをリフトアップする。
Jay Graydon のギター・ソロは数十テイクの中から選ばれた。Classic Albums でその却下されたソロを実際に聴くことができるが、いずれも技術的には申し分なく、Becker と Fagen が求めていたのは技術ではなく「感触」だったことがわかる。
曲が終わった後にどこか晴れた気持ちになるのは、Graydon のソロが最後に解放感を与えるからだ。それだけは確かだ。
Home at Last
ホメロスの『オデュッセイア』をモチーフにした曲で、Odysseus が帰路を妨げるセイレーンへの抵抗を、現代的な「誘惑に抗う男」の物語として描き直す。
Bernard Purdie の Purdie Shuffle はこの曲でその魅力を最も完全な形で発揮する——Chuck Rainey のベースのグルーヴを受け取り、ハーフタイムの重心から浮かび上がりながら、同時に沈み込む。「ビートの奥深く後ろに沈んだシャッフル」と呼ばれたのはこの感触のことだ。
まとめ
New York Times のジャズ批評家 Ben Ratliff は本作についてこう書いた。「ジャズとロックの関係における新しい基準を作った。Steely Dan 以外には再現不可能な——バックビートを持つプログレッシブ・ジャズ・レコード」と。
ポップでもジャズでもロックでもない。しかしそのどれよりも豊かな何かが、この39分には詰まっている。Becker と Fagen が29歳と27歳のときに作ったこのアルバムが、半世紀近く経った今も「あの時代に最も完璧に作られた一枚」として語られ続けているのは、このクオリティが今もって誰にも再現できないからだ。
米国議会図書館が「文化的・歴史的・審美的に重要な作品」として永久保存を決めた。その判断は正しい。ポップ音楽史において『Aja』が占める場所は、議論の余地がない。

