ザ・バンド(The Band)おすすめ名盤『Music From Big Pink』レビュー|エリック・クラプトンがCream解散を思い立った1枚——アメリカ音楽の至宝を深掘り

ザ・バンド(The Band)おすすめ名盤『Music From Big Pink』レビュー|エリック・クラプトンがCream解散を思い立った1枚——アメリカ音楽の至宝を深掘り Classic Rock

The Bandの『Music From Big Pink』は、1968年7月1日にCapitol Recordsからリリースされたデビューアルバムだ。プロデューサーはJohn Simon。11曲、総収録時間42分22秒。

このアルバムが出た当時、チャートの成績は地味だった。アメリカのBillboard Pop Albums Chartで30位。シングルカットされた「The Weight」はHot 100で63位にとどまった。それなのに、このレコードはロック史上もっとも大きな余波を生んだ1枚として語り継がれています。

Eric Clapton、George Harrison、Roger Waters——彼らは同じ話をする。これを聴いたとき、自分が今やっていることへの疑念が生まれた、と。

サイケデリックが全盛だった1968年の夏に、音量を下げることで時代を変えたアルバム。地下室で生まれた曲がスタジオを経て世に出るまで、約180日間の話だ。

制作背景

The Bandの5人——Robbie Robertson(ギター)、Levon Helm(ドラム)、Richard Manuel(ピアノ、ボーカル)、Rick Danko(ベース、ボーカル)、Garth Hudson(オルガン)——は、もともとカナダ出身のバック・バンド、The Hawksとして活動していた。1965年から66年にかけてBob Dylanの世界ツアーを支え、悪名高いエレクトリック転換期の「ブーイング・ツアー」を共にくぐり抜けた面々だ。

ツアー後、DylanはWoodstock近郊のUpstate New Yorkに引きこもり、5人もその地に居を移した。West SaugertiesのピンクがかったピンクハウスがBig Pinkと呼ばれた家だ。

Rick Danko、Richard Manuel、Garth Hudsonが共同生活を送っていたその地下室で、Dylanと5人は1967年の夏から秋にかけて非公式セッションを重ねた。機材は家庭用テープ・レコーダー。目的は「商業リリース」ではなかった。ただ演奏し、録音した。100曲以上がテープに収まり、のちに1975年の『The Basement Tapes』として公式リリースされることになる。

Big Pinkのセッションは、彼らの音楽観を根本から変えた。RobertsonはプロデューサーのJohn Simonとの打ち合わせでこう言った。「地下室で演奏していたときのように録ってほしい」と。Simonはこれを受けて、5人がほぼ円陣を組んで向き合い、互いの音を直接聴き合いながら演奏するというセットアップを組んだ。オーバーダブは極力排除した。

ニューヨークのA&R Recordingでの最初の2日間のセッションで「Tears of Rage」「Chest Fever」「We Can Talk」「This Wheel’s on Fire」「The Weight」が録音された。残りの録音はロサンゼルスのキャピトル・スタジオで行われた。

Dylanはアルバムへの参加——ボーカルとして——を申し出た。しかし最終的には自重した。5人が自分たちの作品として世に出す必要があると判断したからだ。代わりに、Dylanはジャケット用の絵を描いた。その油絵には6人の人物が描かれている。5人の演奏者と、1人の謎の人物。

音楽性

1968年のロックは「大きな音」の文化だった。Cream、Jimi Hendrix、The Who——彼らはアンプのボリュームを上げ、演奏時間を引き延ばし、技術を誇示する方向で競い合っていた。『Music From Big Pink』はその逆を行った。音量を下げ、ソロを削り、スペースを作った。

5人の演奏は「他の楽器の邪魔をしない」という原則で動いている。Garth Hudsonのオルガンは空間を埋めるのではなく、空間を定義する。Rick DankoのベースはJames Jamersonに近いメロディックな動き方をしながら、グルーヴを下から支える。Levon HelmのドラムはR&Bのフィールを持ちつつ、決して前に出ない。

このアルバムには「リード・ボーカリスト」がいない。Manuel、Helm、Dankoが曲によってリードを入れ替わり、複数人が異なるパートを同時に歌うという形式が多い。

音楽学者Chris Smithは、この多声的な構造を「カントリー・ソウルの三角地帯——Muscle Shoals、Memphis、Nashvilleの様式と直接つながっている」と指摘している。カナダ人の5人がアメリカ南部の音を体に染み込ませていた結果だ。

和声的な特徴について言えば、このアルバムの曲は「機能的な終止」を意図的に避ける傾向がある。Gメジャーのトニックを中心に置きながら、FメジャーやBメジャーのような調外コードを挿入することで、どこにいるかわからなくなるような浮遊感が生まれる。「Tears of Rage」がその典型だが、アルバム全体にこの感覚が漂っています。

グルーヴの話をするなら、Helmを外すわけにはいかない。「The Weight」のドラムは71BPMというゆったりしたテンポで刻まれているが、16分音符を細かく配したR&Bのフィールが曲全体の骨格になっている。南部アーカンソー出身のHelmだけがグループ内の唯一のアメリカ人で、このグルーヴはまさに彼が持ち込んだものだった。

後続アーティストへの影響は、数え上げればきりがない。Roger Watersは2008年のインタビューで「Sgt. Pepperの次に影響力のあるレコード」と語り、「Pink Floydに深く、深く、深く影響を与えた」と証言している。George Harrisonは大きく動かされた1人で、彼が後に指揮した『Let It Be』セッションのコンセプト——地下室でバンドとして向き合って演奏する——はBig Pinkへの直接の反応だったと複数の資料が示している。

そしてEric Clapton。Creamのツアー中、Claptonはアルバムの先行音源を手に入れ、テープを繰り返し聴いた。2007年の自伝でこう書いている。「それは私の足を止めた。そして自分たちが抱えているすべての問題を浮かび上がらせた」と。CreamはBig Pinkのリリースから数カ月後、1968年11月に解散した。

楽曲解説

Tears of Rage

アルバムの1曲目。歌詞をDylanが書き、Richard Manuelが曲をつけた。Manuel自身はこう振り返っている。「Bobが地下室にタイプされた歌詞を持ってきて、『これに何か音楽をつけられるか?』と言った。ちょうどピアノで弾いていた動きがあったから、少し膨らませた。歌詞の意味はよくわからなかったけど、聞きに行くわけにもいかなくて」。

コードはGメジャーを中心にしながら、予想外の転換が随所に現れる。I – vi – IV をたどるかと思えば、そこにAmとFメジャー(bVII——Gメジャー調における調外コード)が差し込まれ、最終的にBメジャーという遠い調の和音が現れて一度だけ調の中心をずらしてから解決する。このBメジャーは理論的には唐突だが、Manuelのメロディがその和音を「正当化」しているから耳には意外なほど自然に聴こえる。

Levon Helmは後年こう言っています。「Richardはあれで人生最高のパフォーマンスを見せた」。5分16秒の静かな悲劇として、アルバムは幕を開ける。

To Kingdom Come

Robertsonが単独で書いたアルバム2曲目。Cメジャーを基調にしながら、ボーカルラインはそれを無視するように独立して動く。歌詞はアメリカの民話的な語彙を使いながら、意味を確定させない。

Manuelのハモリがメインボーカルと絡む箇所では、二声の距離感が意図的に緊張を孕んでいる。解決しない、あるいは解決する直前で止まる感覚——これがBig Pink全体に漂う「浮遊感」の源泉だ。3分20秒と短い。それがまたいい。

The Weight

アルバムを代表するシングルであり、The Bandの名刺代わりとなった曲だ。Robertsonが書いた。「Nazareth」という地名は、彼のギターのブランド——Martin社の本拠地、ペンシルバニア州ナザレス——から来ています。

コード進行はAメジャーを中心にしたシンプルな構造だ。ヴァース部分はA – C#m – D – A のパターン。コーラスに入るとビルドアップが続き、最後にD(add9)——DコードにEの音を加えた、開いた質感を持つ和音——で着地する。

奇妙なことにDで終わるため、曲は「A(トニック)に帰ってこない」まま終わる。聴き終えた後の余韻はその不完全さから来ています。

Levon HelmのボーカルはAメジャー・ペンタトニックの中に収まっているが、コードとボーカルの音が意図的にずれる箇所がある。これは「メロディック・ハーモニック・ダイボース」と呼ばれる技法で、魂がコードの上に乗らずに漂い続けるような感触を生む。

Chest Fever

Garth Hudsonのオルガン・イントロで始まる、このアルバムで最も音響的に爆発力のある曲。HudsonはLeslie 145キャビネットを小さな個室に入れて完全に開放し、Bachの「ニ短調のトッカータとフーガ」の最初の3音を弾き始め、そこから即興に入った。

HudsonはHammond B-3ではなく、シンセサイザーに近いLowrey Festivalを選んでいた。音色の幅が格段に広いその選択がHudsonを他のどのロック・オルガン奏者とも違う存在にした。

Levon Helmはロイヤルティ問題を語るときに必ずこの曲を引き合いに出した。Hudsonの貢献が長年過小評価されてきたと感じていたからだ。

I Shall Be Released

アルバムの最終曲。Dylanが書いた曲で、アルバム収録時点での公式初リリースだった。リードボーカルはRichard Manuelの驚くほど高いファルセット。

コードはC – F – G というシンプルな循環だが、Manuelのボーカルはその上で驚くほど揺れ動く。「Tears of Rage」の悲劇から始まったアルバムが、この解放の歌で締まる。いやむしろ、「閉まらない」まま終わる、と言うほうが正確かもしれない。

Van Morrisonはこの曲を聴いてから、『Moondance』(1970)の「Brand New Day」を書いたと述べています。

まとめ

『Music From Big Pink』は「大きなことをした」アルバムではなく、「小さなことを徹底した」アルバムだ。音量を絞り、ソロを削り、互いの演奏に耳を傾けた。地下室でテープに録った音の感触を、プロのスタジオに持ち込もうとした。

Claptonがテープを「麻薬」と呼んだのは大げさではないと思う。このアルバムを聴くと、自分が何か別の場所にいる気がする感覚は、今も変わらない。音楽がどこか遠い記憶のように聴こえる——実際に記憶したことのない時代の。

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