キング・クリムゾン(King Crimson)おすすめ名盤『Discipline』レビュー|驚異的な変拍子——民族音楽やニュー・ウェーヴを合成したマス・ロックの原点

キング・クリムゾン(King Crimson)おすすめ名盤『Discipline』レビュー|驚異的な変拍子——民族音楽やニュー・ウェーヴを合成したマス・ロックの原点 Progressive Rock

King Crimson の『Discipline』は、1981年にリリースされた8枚目のスタジオ・アルバムだ。メンバーは Robert Fripp(ギター)、Adrian Belew(ボーカル・ギター)、Tony Levin(ベース・Chapman Stick)、Bill Bruford(ドラム)。

7年の沈黙を経て帰還した King Crimson が選んだサウンドは、1970年代の重厚なプログレッシヴ・ロックとはまったく異なるものだった。ニュー・ウェーヴ、ミニマリズム、アフリカ音楽、インドネシアのガムラン——それらを「ロック・ガムラン」として合成したものだ。

Pitchfork のレビュアーはこの音楽を「バルトークの弦楽四重奏と同等の精度とリズムの推進力を持つ」と書いた。発売から40年以上が経った今も、このアルバムはマス・ロックの原点として、プログレッシヴ・ロックとニュー・ウェーヴの交差点として繰り返し参照されている。

ただし、リリース当時の受容は複雑だった。The Quietus の記事が伝えるように反応は「喜び、戸惑い、そして怒りまで」幅広く、70年代のニュー・ウェーヴ側からは「プログレの恐竜が蘇った」という拒絶もあった。

70年代の King Crimson を愛したファンの中にも「これは King Crimson ではない」という声は根強かった。『In the Court of the Crimson King』や『Red』を基準にすると、サウンドの方向転換はあまりに徹底していた。

Fripp 自身はそのズレを見込んでいたようで、「アイデアが受け入れられるまでに2〜5年かかる。岩を池に投げて、波紋が岸に届くのを待つようなものだ」と語っている。そしてその通り、評価は時間をかけて追いついてきた。

制作背景

1974年の『Red』を最後に King Crimson は解散し、Fripp は7年間にわたって音楽産業から距離を置いた。その間、グルジェフ哲学の研究に傾倒しながら、David Bowie(『Heroes』のギター)、Peter Gabriel(3枚目のソロ・アルバム)、Brian Eno(『Another Green World』『Before and After Science』)とのコラボレーションを行い、フリップトロニクスと呼ばれる自身のループ・ギター奏法を探求し続けた。

「Drive to 1981」と自ら命名した計画のもと、ニュー・ウェーヴ・インストゥルメンタル・ダンス・バンド「The League of Gentlemen」を率いて市場に戻ってきた。そのアルバムの内溝には「次のステップは Discipline だ」と刻まれていた。

Fripp が求めたのは「現在の最良のアイデアと最高のミュージシャンにアクセスできるバンド」だった。まず Bruford をドラマーとして確保し、次に Belew へのアプローチを開始した。

Belew は Frank Zappa、David Bowie のツアーを経て Talking Heads のツアー・メンバーとなっていた人物だ。Fripp が別のギタリストとバンドを組むのはこれが初めてのことで、Fripp が「ロック・ガムランを作りたい」という構想を伝えると、Belew は Talking Heads のツアーを続けながらも参加を決断した。

ベーシストのオーディションはニューヨークで行われた。Fripp は3日間のオーディションを途中で切り上げて帰ろうとしたところ、数時間後に Tony Levin を連れて戻ってきた。

Levin は Peter Gabriel のレコーディングでも仕事をしていたセッション・ベーシストで、『Red』の1コーラスを弾いただけで採用が決まった。後に Fripp は「Levin が候補として挙がることが分かっていたら、そもそもオーディションなど開かなかった」と語っている。

4人はまず Discipline という名前で活動を始め、1981年4月30日にバース(サマセット州)の Moles Club でライブ・デビューを果たした。しかし最初のリハーサルで生まれた音楽を聴いた Fripp は「自分が聴いているバンドは紛れもなく King Crimson だ」と確信し、バンド名を King Crimson へと改名した。

リハーサル開始からわずか約10日間、ドーセット州 Wimborne の小さな教会のホールで素材を仕上げた。

アルバム・タイトルについて Bruford はこう説明している。「Discipline という言葉が指すのは、自分自身に注目を集めることを避けるために演奏者に求められる規律のことだ。村の音楽家のような態度——控えめな役割を担い、ゆっくりと繊細に変化していく織り物の必須の要素である」と。

バック・カバーには「規律はそれ自体が目的ではなく、常に手段に過ぎない」という言葉が刻まれている。

音楽性

このアルバムにおける和声は、「コード進行」という概念がほぼ動いていない。伝統的なポップやロックの文法では、和声は「進行(progression)」として動き——I から始まり IV や V を経由して I に戻る——聴き手に緊張と解決の感覚を与える。しかしこのアルバムで支配的なのは、和声を「動かさない」という選択だ。

「Frame by Frame」の冒頭で Fripp と Belew の2本のギターが奏でる音型は、機能和声的な進行ではなくモーダルなテクスチャーとして積み重なっていく。和声は「どこかへ向かうもの」ではなく「空間を構成するもの」として扱われている。

そのモーダルな感覚に不安感を与えているのが、各楽器の音型が微妙に異なるパターンで動いていることだ。Fripp のギターがある音型を反復するとき、Belew のギターはそれとは異なるパターンを重ねる。二つのパターンは完全には一致せず、わずかにずれながら絡み合い、その「ずれ」が全体として複雑な和声的テクスチャーを生む。

Fripp は1981年10月のインタビューでガムランへの関心をこう語っている。「ガムランのアイデアに非常に興味がある。それは社会システムや価値観と切り離せない音楽のシステムだ。ガムランにはスター・システムは成立しない」と。

このアルバムはまさにその思想の音楽的な実現だ——誰一人として主役にならず、全員が織り物の一本の糸として動く。

唯一「伝統的な」和声感覚を持つのは「Matte Kudasai」だ。柔らかなコード進行と滑らかなメロディを持つこの曲は、アルバムの中で異質な「解放感」を与える。「Matte Kudasai」の後に「Indiscipline」の混沌が来ることで、その落差がさらに際立つ。「唯一解決が与えられる場所」として、この位置づけは必然だ。

このアルバムのリズムの核心は「複数の拍子が同時進行する」ことにある。タイトル曲「Discipline」では Bruford のドラムが17/8拍子で動き続ける一方、バス・ドラムのみが4/4を維持して「ダンス・グルーヴ」のアンカーとして動く。

その上で Fripp と Belew の2本のギターがそれぞれ異なる拍子を変化させながら絡み合い、4者が同時に異なるリズム・グリッドの上に乗っている。

Bruford のドラミングはこのアルバムで大きな変化を遂げていた。シンバルをほぼ完全に排除し、Simmons SDS-V という電子ドラム・キットを多用した。電子ドラムの「減衰しない」サウンドはアコースティック・ドラムとは根本的に異なる密度を持ち、リズムが「打たれた瞬間」ではなく「継続する平面」として聴こえる。

Bruford は Modern Drummer 誌のインタビューで「このバンドでは A、B、C、D、E、F、G をやらないと決めた。ではドラマーよ、それ以外の何かを探せ」という制約が創造性の源泉だったと語っている。

Levin の Chapman Stick も、このアルバムの独自性に大きく貢献している。10弦のタッピング楽器で、両手を使って独立したベース・ラインとハーモニーを同時に演奏できる。Levin は「誰も使っていない楽器だった」と語っており、その「誰もやっていない音」がアルバムのサウンドに根本的な異質さを与えている。

アフリカ音楽の影響も見逃せない。Belew は Talking Heads とともに『Remain in Light』のツアーをしており、Fela Kuti 的なポリリズム構造を直接体験していた。「Thela Hun Ginjeet」はその最たる例で、各楽器が異なるリズム・パターンを持ちながら、全体として統一された「グルーヴ」を形成する。分析すれば解体されるが、聴くと一体として流れる。その二重性が、このアルバムのリズムの本質だ。

楽曲解説

Elephant Talk

Levin の Chapman Stick が単独で動き始め、次に Fripp の速射的なアルペジオが割り込む。そして Belew のギターが文字通り「象の声」を再現した電子音を吐き出す——これがアルバムの幕開けだ。

歌詞は A で始まる単語から始まり B の単語、C の単語へとアルファベット順に「話すこと」の形態を羅列していく。意味があるようで意味がない。でも意味がないことがこの曲の意味だ。

Belew は Talking Heads の David Byrne と声質・歌い方が似ており、当時から繰り返し指摘されていた。Belew 自身はその類似を認めつつ、「でも Byrne とは似て非なる何かをやっていた」と語っている。

Chapman Stick のラインが「ベースでもギターでもない中間域の質感」で動き始める冒頭の数秒——ここだけで、このアルバムが何かを決定的に変えようとしていることが伝わってくる。

Frame by Frame

このアルバムの「2本のギターが噛み合う」という方法論が最も鮮明に現れた曲だ。Fripp と Belew のギターが独立したパターンを刻みながら、互いに反応し絡み合う。

The Quietus のライターはこの曲について「眩いほど異世界的な機構が噛み合う瞬間——複雑なグラフが二人のギタリストの思考過程の山と谷を描き、そして徐々に同期が外れていく」と書いている。

Belew は Fripp から「4/4 でやる」と約束されていたはずなのに、最初のリハーサルで渡されたのがこうした変拍子のパターンだった。「これが17/16だ、分かったか?と言われた」と Belew は笑いながら語っている。約束が守られなかった瞬間に、このアルバムは生まれた。

Matte Kudasai

「待って下さい」——日本語のこのタイトルを持つ曲は、このアルバムで唯一「普通に美しい」場所だ。Levin のベースと Belew の滑らかなギター・トーンが柔らかく絡み合い、Belew のボーカルが控えめに乗る。

元となったのは The League of Gentlemen 時代の素材で、Fripp はそれをこの新しいラインナップで再解釈した。オリジナル盤には Fripp のギター・パートが入っていたが、1989年の「Definitive Edition」リマスターで削除された。その後の30周年・35周年盤には両バージョンが収録されている。

アルバムの中で「解決が与えられる唯一の場所」として、この曲はその直後に来る「Indiscipline」の混沌を際立たせる。その落差が計算されているかどうかはわからないが、結果として鮮烈に機能している。

Indiscipline

Belew が Notting Hill Gate で街録りに出かけたとき、ギャングに絡まれ、続いて警察に職質された。スタジオに戻って狼狽しながらその一部始終を語った Belew の言葉を、Fripp が無断で録音していた。その録音がそのままこの曲の語りとして組み込まれた。

「あの絵が好きなんだ、俺はただそれが好きなんだ」と繰り返す独白は、もともと Belew の当時の妻 Margaret が描いた絵画についての手紙から抜き出した歌詞だった。ライブでは「ノッティングヒル事件」の語りに差し替えられた。

曲の構造は暴力的なまでに不規則で、Bruford が「厳密なリズム的要求から逃れる機会」として部分的な即興で作り上げたセクションが混在している。この曲の「語り」の部分で初めてフルボリュームで聴くと、音楽と「状況報告」の境界が本当に消える。

Thela Hun Ginjeet

タイトルは「heat in the jungle(ジャングルの熱)」のアナグラムで、都市犯罪の隠語だ。アフリカ的なポリリズム構造が最も鮮明に現れた曲で、各楽器が異なるリズム・グリッドの上で動きながら全体として一つのグルーヴを形成する。

Belew は Talking Heads で『Remain in Light』を演奏した経験を持ち込んでおり、そのリズム感覚をさらに複雑化させている。分析すれば解体されるが、聴くと一体として流れる——この二重性がこの曲で最もはっきり体感できる。

The Sheltering Sky

Paul Bowles の同名小説(1949年)からタイトルを取った全編器楽曲だ。Roland GR-300 ギター・シンセサイザーを Fripp と Belew が多用し、通常のギターとは異なる音色のテクスチャーが広大な空間を描き出す。

「器楽でも語れる」という確信がこの曲にはある。その確信が、ポスト・ロックへの最も直接的な橋になっている。Don Caballero や Tortoise が1990年代に開いた地平は、この曲なしには語れない。

曲が進むにつれてテクスチャーが少しずつ変化し、気づくと別の景色の中にいる。そのグラデーションの精度が、この曲をアルバム中で最も「長く感じない大曲」にしている。

Discipline

アルバムの最後を締めるタイトル曲。Bruford のドラムが17/8拍子で動き続けながら、バス・ドラムだけは4/4を維持して聴き手に「ダンスできそうな感覚」を与え続ける。

その上で Fripp と Belew のギターがそれぞれ異なる拍子を変化させながら絡み合い、4者が同時に異なるリズム・グリッドの上に乗っている。

Belew は1981年10月のインタビューでこのときの体験をこう語っている。「Fripp には『4/4に聴こえるものをやる』と言われていたのに、最初に演奏したのがこの17/8のフレーズだった。Bill がそのパターンを歌って聴かせた——これが17/8だ、分かったか?と」。

聴いていると最初は「どこにいるのか」が分からなくなり、やがてその「分からなさ」の中に乗れる感覚が生まれてくる——それがこの曲の体験だ。

「規律はそれ自体が目的ではなく、常に手段に過ぎない」——バック・カバーのその言葉が、この曲に最も直接的に対応している。複雑なリズムをただ見せびらかすのではなく、その制約の中から生まれる何かを目指す。そういう意志が細部にまで浸透している。

後世に与えた影響

Pitchfork は2002年の「1980年代のトップ100アルバム」でこのアルバムを56位に選び、「マス・ロックへの影響作」として明示した。Don Caballero、Slint、Tortoise、Battles——1990年代以降のシカゴ系インスト・ロックのほぼすべてのバンドが『Discipline』を参照している。

Battles のギタリストはインタビューで Fripp のギター・アルペジオ奏法を直接的な出発点として挙げており、Slint の『Spiderland』におけるギターの緊張した絡み合いは「Frame by Frame」なしには語れない。

ポスト・ロックとの接続もある。Tortoise、Do Make Say Think、Godspeed You! Black Emperor——これらのバンドが「声を持たない器楽ロック」として開いた地平は、「The Sheltering Sky」という全編器楽の曲を収録したこのアルバムが先取りしている。文学的な参照を持つ器楽曲という形式そのものが、ポスト・ロックの方法論の先駆けだ。

より直接的な影響は「テクスチャーとしてのギター」という概念の伝播だ。Fripp と Belew が2本のギターを「メロディとリズムの両方を担うテクスチャー生成装置」として使う方法論は、Radiohead(特に『Kid A』以降の Jonny Greenwood と Ed O’Brien の役割分担)、Sigur Rós(ギターをほぼ音響効果として使う奏法)、The Mars Volta の絡み合うギター・テクスチャーへと受け継がれている。

まとめ

Belew は2011年にこう振り返っている。「私たちは当時、世界最高のバンドだったと思う。重くて、軽くて、楽しくて、暗くて——完璧な組み合わせだった。最初に作ったレコードがその証拠だ」と。

7年の沈黙から戻った Fripp が選んだのは、過去の King Crimson を再演することでも、1970年代のプログレッシヴ・ロックを懐古することでもなかった。ニュー・ウェーヴとアフリカ音楽とガムランを「ロックの現在」として合成すること——その選択の結果として生まれたアルバムが、40年後のマス・ロックやポスト・ロックの原点として語られ続けている。

音楽が時代を越える方法として、これほど静かで確信に満ちた例は多くない。

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