ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)おすすめ名盤『To Pimp a Butterfly』レビュー|アルバム3枚分の素材を全部捨てた男が作った、ヒップホップ最高傑作

ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)おすすめ名盤『To Pimp a Butterfly』レビュー|アルバム3枚分の素材を全部捨てた男が作った、ヒップホップ最高傑作 Hip Hop

Kendrick Lamarの『To Pimp a Butterfly』を紹介します。

2015年にリリースされたこのアルバムは、ドクター・ドレーが後ろ盾になりつつも、中身はサンダーキャットやカマシ・ワシントンといったLAジャズ界の怪物たちが集結して作られました。

ヒップホップを軸に、ジャズ、ファンク、ソウル……ブラックミュージックの歴史をまるごと飲み込んだような、とんでもなく濃密なサウンドです。

このアルバムの世間的な評価は、もう「絶賛」という言葉では足りません。批評家スコアは満点近くて当たり前。2010年代以降の音楽を語る上での「絶対的な物差し」になってしまいました。

面白いのは、それだけ巨大な評価を得ていながら、海外のリスナーの受け止め方がすごく個人的な、人生単位の話になっていることです。「最初は難解すぎて意味がわからなかったけど、気づけば人生の一枚になっていた」という人や、「数年経っても熱が冷めるどころか、聴くたびに新しい発見があって震える」という意見が本当に多い。

制作背景

このアルバムが生まれたきっかけは、南アフリカへの旅でした。Kendrickは2013年、南アフリカを訪問し、Nelson Mandelaが18年間収監されていたRobben島刑務所を訪れた。

「俺はアフリカに属していると感じた。自分が教わらなかった全てのことを見た」とKendrickは語っています。

エンジニアのDerek Aliによれば、Kendrickはこの旅に「2〜3枚分のアルバム素材」を持ち込んでいたが、南アフリカから帰国した後、全部を捨てた。アフリカでの体験が、アルバムの方向性を根本から変えました。

録音は2012年頃から2015年初頭まで3年以上にわたり、ロサンゼルス、ニューヨーク、ワシントンD.C.、セントルイス、そしてツアーバスの中でも行われました。

プロデューサーはSounwave、Terrace Martin、Flying Lotus、Pharrell Williams、Thundercat、Knxwledgeなど錚々たるメンツですが、全員に共通するのは「Kendrickの意思決定が絶対だった」という証言です。

エンジニアのDerek AliはSound on Soundにこう語っています。「彼を見ていると狂気的だ。自分が何を求めているか正確にわかっている。大物の名前は彼には関係ない」と。

参加ミュージシャンの顔ぶれが尋常じゃない。Thundercat(ベース)、Robert Glasper(ピアノ)、Kamasi Washington(サックス)、Terrace Martin(サックス)、Ambrose Akinmusire(トランペット)、Lalah Hathaway(ボーカル)、George Clinton、Snoop Dogg、Ronald Isley——これが「ヒップホップアルバム」の参加者です。

Kamasi Washingtonはこの録音について「各ミュージシャンが自分の楽器を使いながら、全員が同じ精神的な空間にいた」と語っています。

Terrace Martinが旧友のKamasiをセッションに引き込んだのは当初「ちょっとしたインタールードを録音するだけ」のつもりだったが、蓋を開けると「俺たちは全曲に入り込んでいた」とKamasiは振り返っています。

制作中にはいくつかの印象的なエピソードがあります。

「King Kunta」は最初「美しいフルートの入ったジャジーな曲」だったが、KendrickがプロデューサーのSounwaveに「もっと汚く(nasty)しろ」と言った。それが今の「King Kunta」になった。

「Alright」は、Pharrellのビートが届いてからKendrickが実際に録音するまで6ヶ月かかっています。

「The Blacker the Berry」の録音中にMike Brownが射殺され、Kendrickはその事実を直接歌詞に織り込みました。

George Clintonが最初にKendrickを聴いたのは「Bitch Don’t Kill My Vibe」で、「バカっぽく聴こえた」と思ったとClintonは正直に明かしています。でも直接会って話した瞬間に意見が変わった。「俺が1968〜69年に持っていたのと同じ、社会問題への熱狂を感じた」と。

PファンクのレジェンドがCompton出身の若者に自分の若い頃を見た——その出会いがこのアルバムに「Wesley’s Theory」という形で結実しています。

アルバムタイトルは当初「Tu Pimp a Caterpillar」でした——「Tu-P-A-C」というアクロニムになる、Tupacへのオマージュ。最終的に「To Pimp a Butterfly」に変わったのは「より普遍的なメッセージにするため」と言われています。

リリースは当初3月23日の予定だったが、突然8日早い3月15日にデジタル先行でリリースされた。シングル先行なし、ラジオプロモーションなし——D’AngeloのBlack Messiahに触発されたサプライズリリース戦略でした。

音楽性

このアルバムの最大の特徴は「サンプルより生演奏」という判断です。

エンジニアのDerek Aliは、全トラックをアナログ機材でレコーディングしました。「Kendrickはフィーリングが全て。良く感じなければ機能しない」とAliは語っています。

そのアナログへのこだわりが、ヒップホップでありながらジャズの演奏家が「自分の音楽だ」と感じられるサウンドを生んでいます。

「Wesley’s Theory」で使われたAhmadの「We Want the Funk」のフックは、わざわざ生演奏で再録音しました。その結果として思わぬ副作用が生まれ、Ahmadの曲をプロデュースしていたRedfooが「作曲者クレジット」を得ることになった(笑)。

Kamasiはこう言っています。「あのアルバムは音楽を変えた。その影響はまだ続いている。知的に刺激する音楽がアンダーグラウンドである必要はない、ということを証明した」と。

Barack Obamaは「How Much a Dollar Cost」を2015年の最高の曲に選んでいます。

楽曲解説

Wesley’s Theory

イントロでThundercatのベースがグニャリと唸り出した瞬間、強制的にリスナーをアルバムの世界観に引き込みます。Flying Lotusプロデュース。

George Clintonが登場し、成功した黒人アーティストが産業にどう利用されるかというシニカルなテーマを、Pファンクの重力で語り始める。冒頭にJosef Leimbergのスポークンワードが挿入され、音楽が始まる前からアルバムの思想的な重量が伝わってきます。

For Free? (Interlude)

Robert Glasperのフレネティックなピアノとホーン隊のビバップが炸裂する中、Kendrickが超高速でラップを乗せていく。

「This dick ain’t free(俺のものはタダじゃない)」という繰り返しのリフレインが、資本主義と人種と身体の搾取を同時に語る。インタールードと名付けられていますが、このアルバムで最もジャズが暴れている曲です。

King Kunta

アルバム中で最もストレートな一曲。最初は「美しいフルートのジャジーな曲」だったのに、Kendrickが「もっと汚く」と言った瞬間に今の形になった。

あのエピソードを知ってから聴くと、あのベースラインの「汚さ」が別の意味を持ってくる。奴隷小説の主人公の名前を出しつつ、業界での自分の立ち位置を誇示するこの曲はまさにアンセムです。

u

このアルバムで最も壊れた曲。「Alright」の「俺たちは大丈夫だ」という外向きの強さとは真逆に、「u」はKendrickが自分自身に向けて吐き出す自己嫌悪と罪悪感の独白です。

Kamasi Washingtonのサックスが「u」で最も感情的に機能していて、Kendrickの嗚咽に応えるように鳴く。二つ続けて聴くことで、このアルバムの構造的な深さがわかります。

Alright

Pharrellのビートが届いてから6ヶ月後に完成した曲。「We gon’ be alright(きっと大丈夫だ)」というフレーズが、Black Lives Matter運動の抗議の現場で叫ばれるようになるまで、誰も予測していなかった。

Pharrellらしい跳ねたリズムと、その上に乗るKendrickの「それでも前を向く」という意志——あのフレーズが街頭に響いた瞬間、この曲は音楽の領域を超えました。

The Blacker the Berry

録音中にMike Brownが射殺された。Kendrickはその事実を直接歌詞に織り込んだ。

このアルバムで最も怒りが剥き出しになっている曲で、「お前が俺を一番憎む、でも俺はお前が一番必要なものだ」という最終行がこのアルバムの矛盾と複雑さを凝縮しています。

How Much a Dollar Cost

オバマ大統領が2015年の「年間最高の曲」に選んだ曲。ガソリンスタンドで一ドルを求めるホームレスの男性との出会いが、神との対話に変わっていく。Ronald Isleyがクロージングボーカルで参加しています。

まとめ

コンセプチュアルで難解だと言われることも多い作品ですが、私はむしろ「答えなんて出ないけれど、考え続けるしかない」という人間の状態をそのまま記録した、最高にリアルなドキュメンタリーだと思っています。

南アフリカで「2〜3枚分の素材」を全部捨て、6ヶ月かけて「Alright」を完成させ、録音中に銃撃事件が起きて歌詞を書き直した——このアルバムの「作られ方」自体が、アルバムの主題そのものです。

単純にラップも演奏もすさまじい。何度でも繰り返し聴けるヒップホップ史上屈指の名盤です。

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