D’Angeloの『Voodoo』は、2000年1月25日にVirgin RecordsからリリースされたD’Angeloの2枚目のスタジオ・アルバムだ。プロデュースはD’Angelo自身が主に担当し、録音・ミックスはRussell Elevadoが担当した。
このアルバムを聴くたびに、重力が変わったような感覚になる。前作『Brown Sugar』で見せた甘いネオソウルのイメージを捨て、D’Angeloは音楽というより、異形の生命体のようなものを提示した。
Billboard 200初登場1位、初週32万枚。2001年のGrammy賞でBest R&B Albumを受賞した。Virgin Recordsのエグゼクティブたちが「シングルになるものがない」と懸念したこのアルバムが、時代を変えた。
制作背景
録音は1997年から1999年にかけて行われた。テープは1997年だけで200リール以上消費した。「85%はライブ録音だ」とElevadoは語っています。ほとんどの曲で、ベース・ドラム・ギター・キーボードが同時演奏された——Pro Toolsを使わず、クォンタイズもグリッドもなく、ただテープに録音した。
このセッションは単なるアルバム制作ではなかった。「ただそこにいて、創っている人たちのコミュニティだった」とキーボードのJames Poyserは振り返っています。誰でも入ってきてアイデアを持ち込み、楽器を手にとって曲を作り始めることができた。
ErykahBaduの『Mama’s Gun』、Commonの『Like Water for Chocolate』も同じ場所で同時進行していた。QuestloveはこのセッションをBillboard誌インタビューで「左翼的なブラック・ミュージックのルネサンス」と表現しています。
D’AngeloとQuestloveは、Marvin Gaye、James Brown、Jimi Hendrix、Sly & the Family Stoneのブートレグ映像テープを何時間も観て、そのアルバムをかけてジャムを繰り返した。
コア的なメンバーはSoulquariansと呼ばれる集団だ。Questlove(ドラム)、Pino Palladino(ベース)、James Poyser(キーボード)、Roy Hargrove(ホーン)、Charlie Hunter(ギター兼ベース)、Raphael Saadiq(ギター・共同プロデュース)。「Devil’s Pie」のプロデュースはDJ Premierが担当した。
グルーヴの設計——ドラッグ・ビートという発明
このアルバムの核心は「ドラッグ・ビート」と呼ばれるリズム技法にある。ビートの後ろ側に演奏をぶら下げる——これはJ Dillaがデトロイトで非クォンタイズのドラム・プログラミングで実現していた感触を、生演奏で再現しようとしたものだ。
Questloveはドラムの踏み方そのものを作り変えた。キックとハイハットは一定のテンポを保ちながら、スネアだけをキックの直後にわずかに「引っ張る」——スネアがキックの後ろ側に落ちるように訓練した。その結果、ドラムは全体として前を向きながら、スネアだけが一瞬引き戻される——聴く者は「ズレているのに止まれない」感覚に陥る。
問題はPino Palladinoとの連携だった。D’Angeloは「ビートの後ろ側で弾いてくれ」とPinoに要求した。しかしPinoが遅れて弾くと、Questloveの本能がその遅れに合わせてしまう。
そこでD’AngeloはQuestloveに「ヘッドフォンを外して弾け——自分とPinoの音が聞こえないように」と指示した。こうして、ドラムはビートの中心を保ち、ベースはそのさらに後ろで独自に遅れる——二つの時間軸が独立して走ることで、あの「引っ張られながら進む」ゴムバンドのようなグルーヴが生まれた。
Pinoはその感触をこう説明しています。「このスタイルで弾く唯一の方法は、ドラマーが自分のプレイをほぼ無視すること。ドラマーがビートの中心を強く保ち、わずかに前に出ることで緊張が生まれる」。
PinoはD’Angeloが書いたベースラインを、1961年製Fender Precision BassにLa Bellaのフラットワウンド弦を張り、チューニングを下げた状態で演奏した。このフラットワウンド弦の丸みのある低音が、あの「底から這い上がってくる」質感を作り出している。
「Spanish Joint」を除いた多くの曲が100BPM以下のテンポで演奏されています。商業R&Bが120BPM以上で作られていた時代に、意図的に「遅いが止まらない」空間を作り上げた。
和声の設計——解決しない、でも迷子にならない
このアルバムの和声的な特徴は「テンションを各瞬間に均等に分散させる」という設計にある。
通常の楽曲が「緊張→解決」という線形構造でテンションを操るのに対し、D’Angeloの編曲はその緊張を各瞬間に分散させる。
各曲のコード自体はシンプルだ。「Devil’s Pie」はほぼ単一のコードが繰り返され、「The Root」はGメジャーとCメジャーを中心に漂う。「Untitled (How Does It Feel)」はDミクソリディアン——Dメジャーの第7音(C)を半音下げたモードで、長調の開放感を持ちながら解決への引力が薄れる。
ボーカルも和声の一部として設計された。曲によっては40レイヤーものボーカルを重ね録りした——そのすべてがD’Angelo本人だ。Elevadoは各ボーカルをEQ・コンプレッサーで丁寧に処理し、Marvin Gayeの「影がある」感触を目指した。
音作り——アナログという哲学
Elevadoが採用した録音哲学は徹底的にアナログだった。「当時Pro Toolsが入ってきたが、アナログをマスターしようとしていた私には切り替える気など全くなかった」。
実際の音声チェーンはNeumann U67またはU47マイク→Neve 1081または1073プリアンプ→LA2Aコンプレッサーという、60〜70年代のソウル録音を参照したもの。録音機材にはStuder A827の24トラックを2台連結し、48トラックで録音した。
ElevadoのNPRへの発言が本質を突いています。「ハウスミュージックのエンジニアとして叩き込まれたのは、ベースが正しくなければならないということ。キックドラムはベースの邪魔をしないように独自の存在感を持つ必要がある」——このハウスミュージック由来の低音哲学が、『Voodoo』の「耳ではなく体で感じる低音」を作り出した。
ステレオ空間の設計も繊細だ。Questloveのシンバルの音が左右に分かれ、Pinoのベースの振動がヘッドフォンを通じて直接脳に伝わるような定位がある。ボーカルはわずかにぼやかされ、D’Angeloの息遣いやうめき声が楽器の一部として響く。
楽曲解説
Devil’s Pie
プロデュースはDJ Premierが担当。Gマイナー周辺の単一コードを軸としたファンクとヒップホップの融合で、歌詞はヒップホップの拝金主義と業界の腐敗への告発だ。
冒頭の歪んだギターと硬いドラムループに引き込まれ、途中のブレイクから演奏が再開する瞬間のキックの重さは圧倒的だ。構成がシンプルだからこそ、各パートのズレが曲を飽きさせない。
Left & Right
Method ManとRedmanのラップが加わる曲。ゆったりとしたドラムのブレイクが先に空間を作り、そこへラッパーたちのフロウが自由に入り込む。
間奏でホーンセクションが加わり、全体の雰囲気が盛り上がる瞬間は、ヒップホップとソウルの良さが融合した証だ。RedmanはNoiseyのインタビューで「D’Angeloが呼んでくれると言ったら即答だ。バッグを運ぶ仕事でもYesだった」と語っています。
The Root
この曲ではCharlie HunterがPinoの代わりにベースを担当した。Hunterが使ったのは3本のバス弦と5本のギター弦を持つカスタム8弦ギターで、Elevadoがそれぞれベースアンプとギターアンプに振り分けて録音した。
Gメジャーを中心に漂うアンビエントなコード進行の中で、D’Angeloのボーカルがハンドクラップのアクセントとともに揺れる。テンポは遅いのに、内側から湧き上がるような推進力がある。
Spanish Joint
アルバムの中でも異質な疾走感を持つ曲で、Charlie Hunterが8弦ギターでベースとギターを同時担当している。Roy Hargroveのトランペットが鋭いメロディラインを引き、ラテン的なパーカッションが刻まれる。
Bマイナーを軸にしながらE・A方向へ展開するコード進行が、「少しブラジル音楽のような色気」を生んでいる。
Untitled (How Does It Feel)
Raphael Saadiqとの共作で、Princeの初期スロー・ジャムへの意識的なオマージュだ。Dミクソリディアン——Dメジャーの第7音(C)を半音下げたモード——で書かれており、解決への引力が薄れた和声の上を6/8拍子のグルーヴが前進する。
最後の絶叫に向けて40レイヤーのボーカルが積み上がり、演奏は「How does it fee-」という途中で断ち切られる。「崩壊寸前」から固いグルーヴへと展開する瞬間が、このアルバムの設計思想を凝縮しています。
影響と遺産
このアルバムがその後のR&Bに与えた影響は直接的だ。Anderson .Paak、Thundercat、Hiatus Kaiyote、Chris Daveなど、現在のグルーヴ志向のミュージシャンたちが、このアルバムで確立されたドラッグ・ビートとベースラインの語法を参照しています。
Pinoが使った1961年製P-Bassとフラットワウンド弦の組み合わせは、リリース直後から業界の「標準」を塗り替えた。「Voodoo以降、高価なLaklandを使っていた多くのセッション・ベーシストがフラットワウンドのP-Bassに戻った」とセッション・ベーシストSean Hurleyは語っています。
日本では星野源やceroがこのアルバムの音楽性を参照していると言われている。しかし、どれほど精巧なフォロワーが生まれても、このアルバムが持つ質感は再現されていない。それは単なるテクニックではなく、PrinceやJimi、Sly、Marvinといった「ヨーダ」たちの精神を召喚しようとしたD’Angeloの意志が音に刻まれているからだと感じる。
まとめ
ソウル、ファンク、ジャズ、ヒップホップ——D’Angeloが作り上げたのは、ジャンルを並べた作品ではなく、それらすべての源流にある何かだ。
200リールのテープ、ヘッドフォンを外したドラマー、1961年製ベースとフラットワウンド弦、埃を拭いて復活させたマイク——これだけの執念が一枚のアルバムに収まっています。
理論を知らなくても体が動く、知れば知るほど深くなる。このアルバムが25年後の今も色褪せない理由は、おそらくそこにある。

