1998年、Thrill JockeyからリリースされたTortoiseの3枚目のスタジオ・アルバム『TNT』。プロデュース、録音、編集、ミックスはすべてJohn McEntireが担当した。
本作は、シカゴのポストロック・シーンが到達した一つの頂点として、今なお語り継がれています。
制作背景
録音は1996年11月から1997年11月にかけての丸一年。McEntireが自ら建設中だったスタジオで制作されました。
このスタジオはメンバーが共同生活を送る倉庫内に併設されており、Doug McCombsは「スタジオ代を気にせず、当時導入したばかりのPro Toolsの無限の可能性に没頭できた」と振り返っています。
本作の最も特異な点は、「メンバー全員が一度も同時に演奏していない」という制作プロセスにある。
McEntireが主導し、誰かのアイデアをループさせ、別の誰かが音を重ね、また別のアプローチで再構築する——それはレコーディングというより、果てしないリサーチとエディットの繰り返しでした。
その結果、リリース後のツアーに向けてバンドは「自分たちの曲をカバーして練習する」という奇妙な状況に陥ります。McEntireは「誰が何を演奏したかさえ覚えていない部分がたくさんあった」と苦笑混じりに回想しています。
また本作は、前作で鮮烈な印象を残したDavid Pajoが参加した最後のアルバムであり、同時にジャズ・ギタリストJeff Parkerが本格的に合流した作品でもある。
このメンバー交代劇が、バンドの音楽性をより有機的なグルーヴへと導くことになりました。
音楽性
前作までのダブやエレクトロニクス主体の路線から一転、本作ではジャズの語法と緻密なアンサンブルを前面に押し出している。
MogwaiやGodspeed You! Black Emperorのように「静寂と轟音」を対比させるスタイルとは根本的に異なり、ここには爆発も叫びもない。
あるのは、どこまでもクールで知的な、持続するグルーヴの美学だ。
影響源には、CanやNeu!といったクラウト・ロック、Miles DavisのエレクトリックJazz、Steve Reichのミニマリズム、さらにはアフロビートやDuke Ellingtonの編曲術までが混在しています。
和声面では、機能的なV-I解決——「緊張して解決する」コード進行——にほとんど依存しない。各トラックはひとつのモードや調の上に長く留まりながら、グルーヴとテクスチャーの変化だけで音楽を動かしていく。
それはMiles Davisの『Kind of Blue』が示したモーダル・ジャズの方法論を、ロックの楽器編成へと移植したものだと聴こえる。
特筆すべきは、マリンバの多用と、管弦楽器の「音色」としての扱い方だ。バイオリン、チェロ、バスーン、コルネット、トロンボーンといった楽器群は、ソロを取るためではなく、アンサンブルに絶妙な色彩を添えるために配置されています。
McEntireが元来持っていたオーケストラ打楽器奏者としての素養が、緻密なスコアリングに反映された結果だ。Rolling Stone誌は「TNTは散漫だが、それは編集のカミソリで精確に定義された散漫さだ」と評しました。
楽曲解説
TNT
アルバムの幕開けを飾るタイトル曲。マリンバとベースが刻む中毒性の高いグルーヴを提示する。
DメジャーにB♭というフラットVIIを混入させる進行は解決への引力を持たず、管楽器が色彩として重なり合いながらグルーヴだけが前に進む。
ロック的なカタルシスに頼ることなく、純粋な音の快感で身体を揺さぶる7分33秒だ。
Swung From the Gutters
複数のパーカッションが複雑に交差するリズム・セクションに、ギターとマリンバが絡み合う2曲目。
前作のダブ的な質感を継承しつつも、より軽やかでジャズ的なスウィング感へと向かっています。タイトルトラックとともにMiles Davisの『Bitches Brew』スタイルのジャズへの接近と見て取れるし、クラウト・ロックの影響も色濃く滲んでいる。
Ten-Day Interval
マリンバが単音フレーズをドローン的に繰り返し続ける3曲目。ひとつの音型が変容しながら無限に展開していく様は、Steve Reichの「Music for 18 Musicians」に近い。
グルーヴとテクスチャーの微細な変化だけが時間を刻んでいる。和声的な「解決」を求める耳には、この曲は始まりも終わりも持たないように聴こえる——それが正確な印象だ。
The Suspension Bridge at Iguazú Falls
アルバム中、最もアンビエントな静謐さを湛えた一曲。
ブラジルとアルゼンチンの国境にある滝の吊り橋を冠したタイトル通り、静かな水面のような穏やかさの中に、弦楽器の繊細な響きと複雑なリズム構造が隠されています。
ここでの和声も解決しない——特定の音型が水面の揺れのように持続するだけで、「次へ進む」という意志を持たない。
In Sarah, Mencken, Christ, and Beethoven There Were Women and Men
本作の「クールジャズ」的側面が最も洗練された形で結実した長尺曲。静かなギターから始まり、管弦楽器が層を成して積み上がっていく。
Dメジャーを軸にしながらも機能的な解決を一切持たない和声は、ここで最も透明に聴こえる——コードが「行き先を持たない」のではなく、そもそも「行き先を必要としていない」という状態だ。
Jetty
アルバムを締めくくる8分21秒。マリンバとコルネットが対話を重ねながら展開し、アルバム全体の音楽的な旅路を静かに総括する。
最後までV-I解決は訪れない——それがこのアルバムの結論だ。
まとめ
個人的に、本作を初めて聴いたときの衝撃は「ロックバンドという枠組みの完全な消失」でした。ギター、ベース、ドラムという楽器を使っていながら、そこから鳴っているのは現代音楽であり、クールジャズであり、未知のエレクトロニカでもあった。
一度も全員で合わせずに作られた曲を、後から必死に練習してツアーに出たという逸話も含めて、このアルバムは「スタジオという楽器」が生んだ最高傑作だと感じる。
McEntireは「ポストロックは最悪のタグだ」と断言しているが、それでも本作がそのジャンルの代表作として挙げられ続けるのは、彼らが既存のジャンルを鮮やかに「過去のもの」にしてしまったからだろう。
ジャンルを拒絶しながら、音楽の可能性を決定的に更新してしまった。その矛盾こそが、このアルバムを永遠の名盤たらしめています。

