Laurel Haloの『Atlas』(2023年)を初めて通しで聴いたとき、その圧倒的な「曖昧さ」にやられました。
どの音も輪郭がはっきりせず、ピアノの単音がふわっと浮かんで消える。ストリングスの塊が後ろでうねる。
チェロかヴァイオリンかサックスか、音源か生演奏かも分からないほど全部溶け合っています。
静かで美しいのに、内側で何かがずっとざわざわしてる。テープのヒスノイズが霧のように漂い、耳を澄ますとピッチが微妙に揺れる音が混じる。
特に「Sweat, Tears or the Sea」は秀逸です。坂本龍一が深夜に一人でピアノを弾いてるような儚さと、グリッチした電子音が同時に来る。美しすぎて逆に不安になるような。ビートがないせいで時間感覚がぐにゃっと狂います。
でもよく聴くと、各曲に「盛り上がり」はある。ストリングスの厚みが増すとか、ドローンの圧力が強まる、質感の変化として。
「Sick Eros」で重たいドローンがのしかかってくるとき、ホラー映画の核心に近づく感じで背筋が寒くなります。
一方、「Belleville」ではCoby Seyの生々しい声が突然入って最高のアクセントになっている。
夢の中にいるようなアルバムで、ここだけ現実の肉体感がぶっこまれてはっとします。
空間の奥行きがある音響も凄まじい。エフェクトで遠近感を操作し、音がまるで巨大な部屋の中で反響してるように錯覚させる。
一見静かなのに、無数の微細な動きが重なり、聴くたびに新しいレイヤーが見えてくる。これが何度もリピートしたくなる秘密です。
では、この「曖昧さ」はどこから来るのか。
Laurel Haloの制作アプローチを順を追って書いてみます。彼女は2020年頃にピアノでシンプルなスケッチを録り溜めた。それをIna-GRM Studiosでダビング・ストレッチして心臓部に据えるんです。
生のピアノ、チェロ、ヴァイオリン、ビブラフォンにストリングスやシンセを混ぜ、境界を曖昧にする。
減算EQをガッツリかけて輪郭を削り、ミュージシャンにスクラッチ・ボーカルを渡して、予想外のビブラートを発生させ、それをそのまま残しているそうです。
和声と音響の設計
このアルバムを「ただのアンビエント」と片付けられない理由の核心は、和声の扱いにあります。
Halo自身がAbletonのインタビューで語っているように、『Atlas』は彼女が初めて「ジャズ・ハーモニーを開放的に取り込もうとした」作品だ。
それ以前のエレクトロニック作品群と最大に異なる点がここにある。
具体的には、長三和音や短三和音といった機能和声(トニック→ドミナント→トニックの解決を期待させる進行)をほぼ使わない。
代わりに使われるのがモーダル・ハーモニーだ。
ドリアン、フリジアン、リディアンといった旋法スケール上でコードが浮遊し、「どこへ向かうのか」という期待感を宙吊りにしたまま進む。
これが「解決しない美しさ」——聴いていて心地よいのに常にどこか不安定、という独特の質感を生んでいます。
プレスリリースの言葉を借りれば、このアルバムは「モーダル・ハーモニーの陰影(shades of modal harmony)」で構成されている。
コードは解決するのではなく、霞のように変容していく。
Quietusのレビュアーがこのアルバムに「ドビュッシーへの水中のオマージュ」という表現を使ったのも、まさにこの印象主義的な和声感覚を指しています。
ドビュッシーが全音音階と平行和音で調性をぼかしたように、Haloは電子処理と減算EQで和音の輪郭そのものを溶かすのだ。弦楽器の扱いもこの路線に徹している。
チェリストのLucy Railton、ヴァイオリニストのJames Underwoodはほぼ全曲に参加しているが、その存在は旋律を奏でるというより、和声の「霧」として機能する。
Haloはインタビューで「スコアを歌で伝えたとき、彼らがビブラートやダイナミクスの揺れを自ら加え、自分が想定しなかった魔法が生まれた——それをそのまま残した」と語っている。
弦は演奏されるというより、有機的に「発生」したものとして録音に刻まれている。
音響空間の設計も緻密だ。
Haloは「どこまでが生楽器でどこからが電子音なのか、自分でも聴き返すと分からなくなる」と言うが、その混濁は偶然じゃない。
ピアノ、弦、ビブラフォンはアコースティックだが、それらをVSTライブラリのオーケストラ音源やシンセのドローンと混ぜる際、大量の減算EQで双方の倍音成分を削ぎ落とす。
その結果、どちらも「ピュアな楽器音」ではなくなり、互いに識別できない中間の質感へと収束していく。
残響の操作も独特です。
曲によっては「巨大な想像上のコンサートホール」の残響が全体を包み込み、ピアノの打鍵の感触が聴こえるより前に残響だけが先に届くような錯覚を生む。
RAのレビューが「バロック的な密度を持つのに、音符が弾かれた瞬間から溶け始める」と評した通り——これは「広大な空間にいる」という体感を音響エンジニアリングで直接作り出したものだ。
Haloが「マゾヒスティックなほどの減算EQ」と自評するミックス哲学も、この音響の根幹にある。
通常のミキシングが音を「足す」方向で存在感を出すのに対し、彼女は逆に音の輪郭を「削る」ことで存在感を生む。
音の中心周波数を潰すことで、音源は前景に出るのではなく、後景の空間と同化していく。
そこに「ある音があった気がする」という知覚の揺らぎが生まれ——それが「何かがずっとざわざわしてる」という感覚の正体です。
なお、サックスのBendik Giskeはアルバム冒頭「Abandon」と最終曲「Earthbound」にのみ登場するが、その存在は分かりやすい旋律を担うというより、弦や電子音の質感に埋没するよう処理されている。
RA誌が「全体を沈めて引き伸ばされているように聴こえる」と書いた通りで、Giskeのサックスはサックスとして認識されないまま空間の圧力の一部になっている。
まとめ
Halo自身がこのアルバムで目指したのは「サイケデリア」——しかし視覚的なそれではなく、「コントロールの喪失と、壊れることと元に戻ることを同時に体験する」感覚だとインタビューで語っている。
その哲学が、和声の非解決・音色の非識別・空間の非特定という三つの「不確定性」として結晶したのが『Atlas』だ。
評論家からは絶賛されている一方で、海外のレビューサイトでは「退屈」「眠くなる」という意見も多い。それは分かります。
ポップスやクラブミュージックを期待すると、何も起こらないしメロディもキャッチーじゃない(そもそもアンビエントやドローンというジャンル自体がそうなのだが)。
でもそれが彼女の狙いなんだと思う。
「何も起こらない時間の中で微細な変化を追う」体験。逆にクセになって、何十回も聴きたくなる中毒性があります。
要するに『Atlas』は、はっきりしたカタルシスを求める人には向かない作品です。
でも音の「間」や「気配」に敏感な人にはたまらないはず。
仕事終わりの夜中に一人で聴いて、感情が音に溶けていく感覚を味わいたいときに最高です。
