『Up the Bracket』は、2002年10月14日にリリースされた、The Libertinesのデビューアルバムです。
UKアルバムチャートで35位にとどまったものの、NMEが満点評価をつけ、2000年代のブリティッシュ・ガレージロックリバイバルを代表する一枚として語り継がれています。
日本のバンドではandymoriが彼らの影響を大きく受けていることでも知られていますね。
このアルバムが生まれる前、Pete DohertyとCarl Barâtはロンドンの路上で一緒に暮らしていた。売春宿、廃業したパブ、アナキストのスクワット。
バンドの初期はそういう場所を転々とする生活で、その匂いがこのアルバムには全編に染み込んでいます。
Pete Dohertyはバンドのサウンドをこう表現しています。「カウンシル・エステートの住民が心の底から絞り出す声がOasisだとしたら、Libertinesはその団地の裏のゴミ箱に頭を突っ込みながら、今日が何曜日かを思い出そうとしている音だ」と。
制作背景
プロデューサーの人選が面白い。The ClashのギタリストMick Jonesがこのアルバムを手がけました。録音場所はロンドンのRAK Studios。
毎日午後6時になると厳格な休憩が設けられ、Mick Jonesが録画していた前夜のEastEndersをみんなで観た。その後夕食を食べ、ピンポンをする。
Mick Jonesのやり方はシンプルで、バンドに1曲を何度も演奏させ、その中から最高のテイクを選ぶ。余計なことはしない。その判断が、このアルバムの「生っぽさ」をそのまま封じ込めることになりました。
「Radio America」の録音エピソードも好きです。Carl Barâtが前夜に大量に飲んで、まだ酔ったままセッションに転がり込んできた。
Pete Dohertyはそれを「最高のバイブだった」と振り返っています。マイクに頭をぶつけた音が、そのまま収録されて残っているんですよね。
音楽性
このアルバムの音楽性の核心は、「イギリスのロック史を一枚に詰め込んだ雑食性」にあります。
The Clash、The Jam、The Kinks、The Smiths、Buzzcocks、Small Faces、さらにはChas & Daveのパブロックまで。それらの影響が全編に滲んでいるが、「参照した」という感じがしない。
全部が体の中に入り込んで消化され、ロンドンの路地裏の言葉で出てきた感じがします。
Pete DohertyとCarl Barâtのツインボーカルがこのバンドの核心です。
二人が同時に歌うとき、どちらがメインでどちらがハーモニーかわからなくなる。喧嘩しているのか支え合っているのか、その区別もつかない。その「ヨレヨレなのに不安定な一体感」がそのままアルバムの緊張感になっています。
そこにGary PowellのドラムとJohn HassallのベースがどっしりとしたリズムセクションとしてPete DohertyとCarl Barâtを支える。
この構造のおかげで、二人がどれだけ勝手に動いても曲が崩れません。
和声面では、このアルバムはB♭マイナーからDメジャー、Aメジャーと調性が曲ごとに大きく動き回るのが特徴です。
キーが曲間で頻繁に変わることで、アルバム全体が落ち着かない疾走感を持ち続ける——どこかに腰を落ち着けることを拒否するような構造だ。
またDohertyとBarâtは二人ともコードをどこかイレギュラーな押さえ方で弾く癖があり、それが「正確なのに雑に聴こえる」このバンド特有のテクスチャを作っています。
楽曲解説
Vertigo
B♭マイナー、122bpm。跳ねるように動くリフで幕を開ける、このアルバムのステイトメントのような一曲です。
短調で始まりながら疾走感が勝っているのは、DohertyとBarâtのギターが絡み合う勢いがマイナーの暗さを吹き飛ばしているから。
Pete Dohertyの歌詞にはTony Hancockへの言及が含まれていて、アルバムタイトル「Up the Bracket」もHancockのスラング「喉への一撃」から来ています。
スタートから落ち着きがなく、ぐずぐずする気配が一切ない。
Death on the Stairs
Carl Barâtが今もバンドの曲の中で最も好きだと語る一曲です。
B♭メジャーを基調に、A#・Gm・Cm・Fという進行がヴァースを動かす。同主調のB♭マイナーで始まった前曲から平行調のGmを共有しながらメジャーへ転換する——この「暗闇から半歩踏み出した」感覚が、アルバム2曲目の叙情性の源だと思います。
DohertyとBarâtの声が最もよく絡み合っていて、このバンドの「二人でひとつ」の本質がここで出ています。
Time for Heroes
「野球帽をかぶったイギリス人ほど見苦しいものはない」というPete Dohertyの一節は、20年後の今も笑いと共感を同時に呼びます。
Dメジャーを基調に、D・F#m・Gと動く——The Smithsが好んだ「明るいメジャーから翳りのあるマイナーへ半歩踏み込む」進行だ。F#mに落ちる瞬間の「陰り」がDohertyの毒気ある歌詞と完璧に噛み合っています。
Gary PowellのドラムがここでもっともタイトにJohn Hassallのベースと噛み合っていて、バンドのアンサンブルの精度が一番わかりやすく出ている曲でもあります。
Radio America
Carl Barâtがまだ酔ったままセッションに来て録音した曲。187bpmというアルバム最速のテンポで、Aメジャーを軸に突き進みます。
マイクに頭をぶつけた音が残ったまま収録されている。それを「最高のバイブスだった」と振り返るPete Dohertyの感覚が、このバンドのすべてを表しているような気がします。
Up the Bracket
タイトル曲にして、アルバムの爆発点。Aメジャー、183bpmで前半で積み上げてきた緊張が、ここで一気に解放されます。
「Radio America」と同じAメジャーだが、こちらはよりストレートに突進する。Pete DohertyとCarl Barâtの絡み合いが、ロンドンの路地裏の空気ごと閉じ込められています。
まとめ
このアルバムが出た2002年のイギリスは、ブリットポップの二日酔いとアメリカから押し寄せるニューメタルの波の中にありました。そこにLibertinesが現れて、「ロンドンの路地裏の話」を歌った。
Pete DohertyとCarl Barâtには共通の言葉があった。「世界のてっぺんか、あの川の底か」。テムズ川を指しながら、二人は友情の初期にそう言い合っていたといいます。
てっぺんには届かなかった。川の底にも沈まなかった。それでも、このアルバムは残った。

