The Flaming Lipsの『The Soft Bulletin』(1999年)が生まれる直前、バンドに立て続けに災難が降りかかった。
Steven Drozdの腕が切断されかけた——蜘蛛に噛まれたと思っていたが、実はヘロインを注射した跡の膿瘍だった。
Michael Ivinsは走行中の車からタイヤが飛んできてフロントガラスを直撃され、数時間車内に閉じ込められた。
そしてWayne Coyneは、長い闘病の末に父親を癌で亡くした。
今作は1999年にリリースされた9thアルバムで、Dave Fridmann、Scott Booker、バンド自身が共同プロデュースを担当しました。
Pitchforkが10点満点を付与し、「1990年代アルバムTOP100」で3位に選出。AllMusicのJason Ankeyは「1999年のベストどころか、この10年間で最高の1枚かもしれない」と書いた。
制作背景
前作『Zaireeka』(1997年)は4枚のCDを同時再生するという実験的なコンセプト・アルバムで、商業的には完全な失敗だった。
Warnerはバンドへの興味を失いかけていて、『The Soft Bulletin』は事実上「これで駄目なら終わり」という状況で作られた。
それだけじゃない——Zaireeka制作を通じて、バンドは新しい録音技術を独自に開発せざるを得ず、その経験が皮肉にも本作で使える「音の語彙」を一気に広げた。地図なしで掘り続けた穴が、思わぬ場所に出た感じだ。
録音は1997年4月から1999年2月にかけて、約2年間にわたって行われた。
Fridmannが自ら建設したスタジオで、バンドはオクラホマからニューヨーク州カサダガという小さな町まで遠征し、時間に追われない環境で制作を続けた。
当初はZaireeka形式を活かした80トラック版と、現在リリースされているステレオ版の2バージョンを作る計画だったが、最終的に後者が選ばれた。
Coyneはこう語っている。「後になって気づくんだけど、The Soft Bulletinが敏感で真剣な人たちに何を与えているのか、何を助けているのか、わかるようになってきた」。
当時のCoyneには「名盤を作ろう」という意識はなかった。アルバムが出る前から、もう次の『Yoshimi Battles the Pink Robots』の曲を作り始めていた。ただ曲を作り、音を作り、アルバムを作り続けることに夢中だっただけだと言う。
音楽性
このアルバムにはストリングスもブラスも、生の管弦楽器が一切使われていない。ギターもほぼ姿を消した。
代わりに使われたのは、意図的にチューニングをずらしたシンセサイザー、テルミン、そして「What Is the Light?」ではデジタル腕時計の音だ。
それでもアルバム全体が壮大なオーケストラのように聴こえる。
Fridmannがもたらした最大のものは、「MIDIキーボードで弦楽器やホルンを演奏する」という逆説的なアプローチです。
「打ち込む(プログラムする)」のではなく、キーボードで「演奏」することで人間が弾くときに生まれる微妙なタイミングのずれや音量の揺らぎを意図的に残した。その結果として、本物のオーケストラではないのに本物に聴こえる「偽オーケストラ」が生まれた。
Coyneはプレスリリースにこう書いた。「もし自分の楽器は何かと聞かれたら、レコーディング・スタジオと答える」。
「The Spark That Bled」では200トラック以上を重ねていて、ドラムは2本のマイクのみで録音した後に電子処理で加工されています。Fridmannはインタビューで「最高だったのは、何をやっているのか自分たちもよくわかっていなかった時期だ」と語っています。
批評家たちはBeatles、特にBrian Wilsonの『Pet Sounds』(1966年)との類似を繰り返し指摘している——「1990年代のPet Sounds」という形容が当時から付いて回った。
Coyneが意識したのはもっと直接的で、「Brian Wilsonが人間の感情の最も純粋な形を音にしようとした方法」への憧憬だったとインタビューで語っています。
FridmannとバンドはMercury Revとも同時に仕事をしていて(Mercury Revの傑作『Deserter’s Songs』(1998年)もFridmannがプロデュース)、その相互影響が両作品の「偽オーケストラ的な壮大さ」として結実した。
Coyneの声は技術的に「うまい」とは言えない。揺れて、かすれて、時折音程が不安定になる。
でもそれが「悲しみと希望の間で本当に揺れている人間の声」として耳に届く。The Spiderbite Songのような子守唄的な曲でも、Race for the Prizeの壮大なコーラスでも、あの声は「芝居ではない」という確信を持って聴こえてくる。
楽曲解説
Race for the Prize
アルバムの1曲目。世界を救うために全てを犠牲にする二人の科学者の物語。
壮大なシンセのストリングスが一気に広がる冒頭から、このアルバムが「ただのロックバンドの作品」ではないことが伝わってくる。
「多幸感とその裏に漂う寂しさ」の組み合わせは、アルバム全体のテーマを凝縮しています。
「科学者が世界を救うために走る」という物語は一見英雄的だが、Coyneはその「全てを犠牲にすること」の虚しさと美しさを同時に歌っていて、二つの感情が分離できないまま終わる。
The Spark That Bled
3曲目。200トラック以上を重ねた、アルバム中最も録音が複雑な一曲。
それでも「ごちゃごちゃしている」とは感じない——Fridmannが全てのレイヤーを一つの感情的な弧に向けて整理しているから。
副題は「The Softest Bullet Ever Shot(今まで撃たれた中で最も柔らかい弾丸)」。
曲の後半、ビートが突然剥ぎ取られて音が空中に散っていく瞬間は、このアルバムで最も「音が消えていく美しさ」を感じる場面のひとつです。「偽オーケストラ」の精度が最もよく聴き取れる曲でもある。
The Spiderbite Song
4曲目。腕の切断寸前だったDrozd、タイヤが飛んできたIvins、そして父を亡くしたCoyne。バンドを次々と見舞った不運の中で、Coyneが仲間たちへの愛情を込めて書いた子守唄のような一曲です。
アルバムの中で最も「小さい声で語りかける」曲で、壮大な前後の曲の中に置かれることで余計に親密に聴こえる。
「お前は大丈夫だ」という言葉が繰り返されるが、歌っているCoyneは本当にそう信じているのかどうかわからない——その「信じようとしている」感触が、この曲の核心です。
Waitin’ for a Superman
8曲目。Coyneが父親を救う奇跡が来なかったという現実と向き合った曲。
「スーパーマンを待っている」という歌詞の意味を知ってから聴くと、あの静かな諦めの重さがまるで変わってきます。
アルバムの中で最もシンプルな編曲を持つ曲のひとつで、Coyneの声とシンセのパッドだけが広い空間を漂う瞬間がある。
「奇跡は来ない」という事実を受け入れるプロセスを、泣くでも怒るでもなく、ただ「待っている」という行為として描いている——そのリアルさが胸に刺さる。
Feeling Yourself Disintegrate
11曲目。「死なき人生はあり得ない、それでも愛があれば生きる価値がある」というアルバムの核心を直接歌った曲。
派手なカタルシスはない。ただ静かに、そのことを受け入れていく。
「崩れていく自分を感じる」という体験を音にしながら、崩れる瞬間にすら美しさがあると言っている。
Coyneは「亡くなった人を持つ人たちは強烈に感じると思う。大きな空白があって、僕らの音楽がその空白を埋めているんだと言ってくれる人がいる」と語っています。
このアルバムは悲しみを美しくする音楽じゃない。悲しみと美しさが最初から同じものだったと気づかせてくれる音楽です。
まとめ
「これで駄目なら終わり」という状況から、1999年のベスト・アルバムが生まれた。
Coyneには名盤を作る意識がなかった。ただ、仲間が危機にさらされ、父が死に、それでもバンドは音を作り続けた。
2016年にコロラド交響楽団と共演したとき、楽団員たちはスタジオで作られた「偽オーケストラ」の音をそのまま再現することになった——偽物が本物を呼び込んだ。
そのことがこのアルバムの美学を、最もよく説明していると思います。

