フランク・オーシャン(Frank Ocean)名盤『Blonde』は何がスゴい?|ピッチフォーク2010年代ベスト1位に輝く現代の聖典を全曲レビュー

フランク・オーシャン(Frank Ocean)名盤『Blonde』は何がスゴい?|ピッチフォーク2010年代ベスト1位に輝く現代の聖典を全曲レビュー R&B / Soul / Funk

2016年、4年の沈黙を破って届けられた『Blonde』は、ポップミュージックが到達し得る最も親密で、最も実験的でした。

Pitchforkによって2010年代最高のアルバムに選出され、Rolling Stone誌の「500 Greatest Albums of All Time」では79位に名を連ねるなど、その評価はもはや一過性の流行を超え、聖典の域に達している。

この謎めいた傑作は、現代を象徴する絶対的な1枚として今もなおリスナーの魂を揺さぶり続けています。

4年間の沈黙と、Def Jamからの脱出

channel ORANGE(2012年)の成功後、Oceanは4年間ほぼ沈黙しました。

2013年から2016年にかけて各地のスタジオで断続的に録音が行われていましたが、完成の気配はなかった。

Def Jamとの契約問題が制作の最大の障害でした。

Oceanはレーベルに対して最後の義務を果たすためにビジュアルアルバム「Endless」をApple Musicでストリーミング公開し(2016年8月19日)、翌8月20日に自身のレーベル「Boys Don’t Cry」からBlondeを独立リリースしました。

Def Jamは自社アーティストが別アルバムをリリースしていたことを事前に知らなかった。

Blondeでの収益はchannel ORANGEでの収益を大幅に上回り、Forbes誌はリリース1週間でOceanが約100万ドルを得たと試算しています。

アルバムタイトルの表記問題も面白い。フィジカルリリースのジャケットには「blond」(男性形)と書かれ、デジタル版の多くには「Blonde」(女性形)として登録されています。

これはフランス語で「ブロンド」の男性形・女性形の差です。アルバムを貫くジェンダーと二元性のテーマが、タイトルの表記にまで組み込まれているのではないか。

声を楽器として再設計する——ピッチシフトの詩学

Blondeで最初に話題になった音響的な特徴はボーカルのピッチシフトです。「Nikes」の冒頭でOceanの声は全編にわたってソプラノ域まで引き上げられていて、曲の後半で初めて素の声が現れる。

この演出は単なるエフェクトではなく、明確な意図を持っています。

ピッチを上げた声は「過去の自分」あるいは「もう一人の自分」として機能していて、素の声との対比によってアルバムのテーマである「二元性(duality)」が音響レベルで実装されているのではないか。

「I got two versions」——Nikesのビデオ版でOceanが自ら言った言葉がその読みを支持しています。

ピッチシフトの使い方は曲によって全く異なります。「Nikes」では全体を引き上げる。

「Self Control」では冒頭の高域部分と後半の素の声のコントラストで使う。

「Close to You」ではPrismizer(ハーモナイザー)を通して単旋律を多声に変換し、倍音の厚みを作り出す。

これはピッチシフトを「エフェクト」として使うのではなく「声の構造を再設計する手段」として使っているということです。

同時にOceanは自分のボーカルの「不完全さ」を意図的に残しています。ピッチが外れる瞬間、ブレスのノイズ、低域での不安定さ——これらは修正可能だったはずですが、そのまま収録されています。

「技術的に完璧なR&B」ではなく「感情的に正直な声」を選んだということで、channel ORANGEとの最大の違いの一つだと思っています。

Brian Wilsonの影と、The Beatlesからの脱出

Blondeの音楽的影響源としてOceanが公言しているのはBeach BoysのBrian WilsonとThe Beatlesです。

「White Ferrari」にはThe Beatlesの「Here, There and Everywhere」のメロディが引用されていて(「Making each day of the year」を「Spending each day of the year」に変えた形)、クレジットにはLennon/McCartneyの名が入っています。

Blonded RadioでOceanはこう語っています。「The Beatlesはライターズブロックから俺を救い出してくれた」——アルバムが完成に向かったきっかけの一つはBeatlesを聴き直したことだったようです。

Brian Wilsonの影響はコード進行と声部の重ね方に最も色濃く出ています。

Pet Sounds的な「コードトーン以外の音を積極的に声部に含めるアレンジ」——ルート音から離れた9度・11度・13度が声部の中に自然に現れる。

「Pink + White」の弦楽アレンジはJon Brionによるものですが、その声部の動きはWilson的な「コードの外側を歩く旋律」を持っています。

Stevie Wonderの影響も随所に出ます。「Solo」の機能的な教会オルガンと声の関係は、Wonderの70年代作品の発想を直接受け継いでいると感じます。

アルバムの構造——30分で折れる軸

Blondeは60分8秒という長さに対して、ほぼ完全に二等分される構造を持っています。

9曲目「Nights」のビートスイッチが起きるのは、アルバム開始からちょうど30分の時点——曲の中間点とアルバムの中間点が一致しています。

これは意図的な設計です。

前半(Nikes〜Good Guy)は夏、明るさ、ノスタルジア、過去の恋愛の記憶で構成されています。

ビートはある程度グルーヴを持ち、ギターは比較的生々しく鳴っています。後半(Solo Reprise〜Futura Free)はより内省的で、夜の質感を持ち、アンビエント寄りのサウンドスケープが支配的になります。

Nightsのビートスイッチが「夏から夜へ」の転換点として機能していて——。

「Every night fucks every day up, everyday patches the night up」という歌詞はまさにこの構造そのものを言語化しています。

打楽器の扱いも意図的です。アルバム全体を通して明確なドラムが存在する曲は実はかなり少ない。

ほとんどの曲はギターのアルペジオ、オルガン、ピアノ、声部の重なりだけで構成されていて、「何かが欠けている」という感覚がある。

その欠落が「不完全さを完全として提示する」Blondeの美学の核心。

全曲解説

Nikes

アルバム冒頭、ソプラノ域まで引き上げられたOceanの声でアルバムは始まります。

Mellotronとドラムループの上で、消費主義・セレブリティ文化・Trayvon Martinへの追悼が一つの曲の中に畳み込まれています。

和声的にはE♭メジャーを軸にした循環で、ピッチシフトされた声自体が「もう一つの楽器」として機能しています。

Ivy

「最初の恋愛と、その終わり」を扱う曲。Rostam Batmanglij(元Vampire Weekend)のアレンジによるギターが骨格を担っています。

曲の後半、Oceanの声はどんどん歪んでいき、最後に「DREAMING!」と叫んで音楽が突然切れる——そのあと物を壊す音が聴こえます。

「ライブ一発録り的な衝動」がスタジオ録音の中に残されています。

終盤の声の歪みと和声の「解決しない感覚」が合わさって「記憶が崩れていく」イメージを作っています。

Pink + White

アルバムで最もアクセスしやすく、最も「美しい」と言われる曲。PharrellのプロデュースにJon Brionの弦楽アレンジが加わり、Beyoncéのコーラスが「幽霊のように漂う」。

クレジットにBeyoncéの名前が出るまで、その声の存在に気づかないリスナーも多かった——それくらい混ざり込んでいます。

「it’s all downhill from here」という歌詞が、この曲の「温かさ」が続かないことを先告します。

Be Yourself

Oceanの友人の母親が残した留守番電話のメッセージが流れる。「薬をやるな、自分らしくいなさい」——その声はあくまで穏やかで、愛情に満ちています。

直後の「Solo」でOceanが「gone off tabs of that acid」と歌うことで、このアドバイスが届かないことが暗示されています。

Solo

James Blakeがプロデュースした教会オルガンの上で、孤独とドラッグと自己との対話が展開されます。

「inhale, in hell there’s heaven」——このラインに代表される「最悪の状況の中に美しさを見出す」という逆説がBlonde全体のテーマを集約しています。

「Solo」と「So low」の掛け詞もこの曲の核心です。

和声的にはE♭メジャーキーで二種の進行が使われていて、同じ調性の中で微妙に異なる感触を持つ進行を交互に用いることで「同じ場所にいるのに何かが違う」感覚が生まれています。

個人的には彼の曲の中でも最高傑作のひとつだと思います。

Skyline To

Tyler, The Creatorがドラムプログラミングを担当(クレジット確認済み)。

テルミンのような音が浮遊する中で、性・ドラッグ・時間の経過が交錯します。

「Summer’s not as long as it used to be」——大人になるにつれて夏が短くなっていく感覚を、音楽のテクスチャーが正確に体現しています。

Self Control

Alex Gがロンドンのツアー中にOceanのマネージャーからメールを受け取り、セッションに参加しました。

「Frankがコードを書いて、『もっとソウルフルな弾き方にしてくれ』と言った」とAlex Gは語っています。

前半の高域部分(ピッチシフト)と後半の素の声のコントラストが、「子供の頃の記憶」と「現在の語り手」を分けています。

最後の1分間、OceanはYung Leanのボーカルの上で自分自身とハーモナイズし続ける——「声と声が互いに解決に向かいながら、終わらない」その構造が曲のテーマ「self control」の音楽的な具現化かと。

Good Guy

「Here’s to the gay bar you took me to」——ニューヨークでのブラインドデートの記憶を、ほぼ台本なしで語ったような曲。

前半の温かさと後半の内省を繋ぐ、アルバムの折り返し手前の静止点として機能しています。

Nights

このアルバムでも特に評価が高い曲。ハリケーン・カトリーナの記憶、デリバリーの仕事をしていた頃の夜、孤独——複数の時制が重なり合います。

曲の前半はウォームで夏のグルーヴを持つ。ちょうど曲の中間点(=アルバムの30分地点)で、鋭いギターフレーズに続いてビートが完全に切り替わります。

後半はより暗く、冷たく、夜の質感を持つ——A♭メジャーからEメジャーへのキー変化がこの転換を支えています。

二つのキーは共通の音がほとんどなく、転調というより「別の世界に移動する」感触があります。

「Every night fucks every day up, everyday patches the night up」という歌詞の二元性が、和声と構造の両方で実現されているのではないでしょうか。

Solo (Reprise)

André 3000が70秒で完全燃焼するラップ。スタジオではなく、アトランタで全く別のビートの上で録音されたものを後から組み込んだという経緯があります。

「No one’s picking up the goddamn phone」——Hip-hopの未来への失望が、息継ぎなしの早口で叩き込まれます。

Pretty Sweet

このアルバムで最も賛否が分かれる曲。コーラスが爆発的に展開したかと思うと、ノイズと歪みに崩壊して、また静寂に戻る。

Blondeの中で最も「衝突」が激しい曲で、それまでの内省的な流れの中で異物として機能しています。

Facebook Story

フランス人プロデューサーSebastiAnが自分の実体験を語るスキット。交際相手にFacebook上での交際ステータスの変更を求められ、断り続けたら別れた話。

語り口は滑稽ですが「テクノロジーと現実の関係」というBlondeの副テーマを最も直接的に提示しています。

当のSebastiAn本人は自分がアルバムに参加していたことをリリース後まで知らなかったという逸話も。

Close to You

The Carpentersの「Close to You」(Burt Bacharach作)のメロディを引用しながら、Francis & the LightsとともにPrismizerというハーモナイザーVSTを通した声で全編構成されています。

Prismizerは単旋律を和音に変換するプラグインで、OceanがPrismizerを通して歌うと「一人で多声コーラスを歌っているような」音が生まれます。

White Ferrari

Blondeの中核にある曲。Alex GがロンドンとLAのセッションで担当したギターが楽曲の後半を支えています。

Kanye Westが共同作曲者としてクレジットされていることはリリースから数ヶ月後のフィジカル版liner notesで初めて明らかになりました。

「Here, There and Everywhere」(Lennon/McCartney)からのメロディ引用は歌詞を変えて精緻に組み込まれていて、そのままでは気づかないほど自然に溶け込んでいます。

和声的には非常にシンプルな進行で、音を削ぎ落とした先に残るものが感情だけになるよう設計されていると私は解釈しています。

Seigfried

Blondeの中で最もエリオット・スミス的な曲。歪んだギターのアンビエントと残響の中で、「I’m not brave(俺は勇気がない)」「I’d rather live outside(外に生きていたい)」という言葉が続きます。

「Maybe I should move, settle down(移住して定住しようか)」という逡巡が、アルバム後半の「どこにも着地できない」感覚を言語化しています。

Godspeed

Kim Burrellのゴスペルボーカルが幕を開け、Yung Leanがコーラスに参加。

「I will always love you, but I am not you」——別れの祝福として書かれた曲。

ピアノとオルガンだけのシンプルな構成が「祝福の言葉の重さ」を守るように機能しています。

「Godspeed, glory」という言葉はアルバム全体の感情的な結末として機能していて、White Ferrariの「終わらない問い」からGodspeedの「解放」への流れがBlondeの感情的なアークを完成させています。

Futura Free

9分24秒のクローザー。「How far is a light year?」「A second」——宇宙的なスケールの問いへの即答で曲が終わります。

曲の後半は友人たちとのインタビュー音声で構成されていて、「アルバムという完成された芸術作品」を「生きた声の記録」として締めくくっています。

曲の長さが9分24秒で、「光年は9.4×10の15乗メートル」に対応しているという指摘がファンの間でなされています。

意図的なのかどうかはわかりませんが、Oceanが細部にこれほどの注意を払うアーティストだということは、Blondeの全てが示しています。

Blondeとは何だったのか

「R&Bアルバムとして聴こうとすると、R&Bではない。ポップとして聴こうとすると、ポップでもない」——Rolling Stoneが「最もエクレティックで拡張的な意味でのR&Bアルバム」と評した。

このアルバムはジャンルの定義そのものを内側から書き換えました。

OceanはBlondeで「声」を楽器として再定義しました。ピッチシフトで過去と現在の自分を分ける。

Prismizerで単旋律を多声に変換する。ボーカルの「不完全さ」を意図的に残す。

Beyoncéのコーラスを気づかれないほど深く埋め込む。

これらは全て「声が感情の透明な媒体である」というR&Bの伝統的な美学を解体して、「声そのものが意味を持つ構造物」として再構築した試みなのではないでしょうか。

また「Nights」のビートスイッチが示す「60分を30分ずつに割る構造」、「blond/Blonde」という表記の二元性、「デジタルリリースとフィジカルの内容の差異」。

Blondeはアルバムのソニックな内側だけでなく、リリースの形式から表記まで、全てを意味の担い手として使っています。

そして最も肝心なのは、そうした技巧的な側面を抜きにして考えても、Oceanのむき出しの思いが60分8秒の中に全部入っているということです。

なんと聴く人の胸を打つアルバムなのでしょう。だからこそ今作は世界中の人間に感動を与えているのだと思います。

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