black midi の『Hellfire』は、2022年にリリースされた3枚目にして最後のスタジオアルバムだ。UK アルバムチャートで22位を記録し、バンド史上最高チャートを達成した。
リリース週にイギリスで観測史上最高気温の熱波が訪れ、複数のメディアがその熱波を「hellfire」と表現した。バンドはそれに乗じてロンドン市内をアイスクリームバンで走り回り、アルバムと限定グッズを販売したらしい。こんな形でアルバムの世界観とリアルが一致したリリース週が、他にあるだろうか。
音楽性
このアルバムは COVID-19 のロックダウン中に、Geordie Greep がロンドンで書き始めた。前作『Cavalcade』の曲が三人称で語られていたのに対して、今作は一人称の語り口を採用している。「道徳的に疑わしい登場人物たちが、直接あなたに語りかけてくる」という構造だ。
Greep はアルバムのコンセプトをこう語っている。「Cavalcade がドラマなら、Hellfire は叙事詩的なアクション映画だ。登場人物のほぼ全員がろくでなしだ。地獄を信じているわけじゃないけど、あの古い世界の愚かさは歌にうってつけだ。ダンテの神曲、ホーマーが地獄に行くシンプソンズのエピソード、フューチュラマのロボット地獄。そういうものがずっと好きだった」と。
録音は Björk、Animal Collective、FKA twigs との仕事で知られるプロデューサー Marta Salogni とともに、ロンドンのスタジオで主に13日間で行われた。Salogni は Cavalcade のオープニングトラック「John L」を手がけていた人物で、バンドとの信頼関係がすでにあった。
また、テナーサックスの Kaidi Akinnibi が今作から正式メンバーとして加わり、バンドはトリオからカルテットに拡張されている。Akinnibi のサックスは各曲の中で「火の粉」のように飛び込んでくる——トリオ時代にはなかった音の射程がアルバムに加わっている。
2024年8月、バンドは無期限の活動休止を発表した。このアルバムが最後の作品になることは、当時誰も知らなかった。
音楽性について言えば、前作 Cavalcade のアヴァンプログ的なアプローチをさらに発展させながら、より強烈な「見世物感」を持ったものになっている。過去作の King Crimson 的なアプローチよりも Mr. Bungle や Fred Frith を想起させるものが強い気がする。バンド自身が語る影響源も、アヴァントギャルド・ジャズの Sun Ra、キャバレー作曲家の Kurt Weill、Frank Zappa の実験精神あたりに集中している。
そこにアメリカのカントリー、フラメンコ、ショーチューン、フリージャズが混ざり込む。ただしそれらは「参照した」という感じがしない。全部が体の中に入り込んで消化され、ロンドンの若者の言葉で出てきた感じがする。
Greep のギターはこのアルバムで大きく変わった。「ペダルボードを捨てて、アンプを10まで上げてギターのボリュームコントロールだけで弾く」——Angus Young から学んだという直接的なサウンドが、前作よりはるかに生々しいトーンを生んでいる。「Sugar/Tzu」のクロマティック・リフはその結晶で、「弾けば弾くほどどんどん速くなっていった、今では馬鹿みたいな速さだ」と Greep 自身が語っている。
Morgan Simpson のドラムは、このアルバムでバンド史上最も多様な表情を見せている。Greep のカーニバル的な歌唱と Cameron Picton の地を這うベースを下から支えながら、拍子を目まぐるしく変えながら一切の隙を見せない。「数学的なドラム」と「肉体的なベース」のせめぎ合いが、どれほど音が複雑になっても血の通った泥臭さを保たせている。
楽曲解説
Hellfire
アルバムの幕開けを飾るタイトル曲。Greep のボーカルが地獄の案内人のように曲を引っ張り、アコーディオンと爆発するドラムが交互に押し寄せる。
「There’s always something」——この一言で始まる。不満、不快、喪失——何かが常にある。その「何か」を歌にする意志が、このアルバム全体の動力だ。このバンドが何者かを最初の数分で完全に提示する、完璧な1曲目だ。
Sugar/Tzu
遠い未来の超ヘビー級ボクシングの試合を描いた曲で、試合の末に子供の暗殺者が選手の一人を仕留めるという荒唐無稽な物語が展開する。ボクシングのベルが鳴り、アナウンサーが「本日のスポーティングイベント」と客を煽るところから始まる。
Greep が「融合リフが本当に楽しい。弾けば弾くほど速くなっていった」と語るクロマティック・リフが核心にある。拍子が目まぐるしく変わりながら、全体として一つの格闘の緊張と解放を描いていて、終盤の爆発は何度聴いても避けられない。
Eat Men Eat
Cameron Picton が書いた曲で、前作『Cavalcade』に登場した謎の軍事採掘企業が再登場する。同性愛者のカップルが同性愛嫌悪の軍曹から逃げる物語で、フラメンコ的な爆発と Picton の柔らかいボーカルが「終わりのない追跡」を体感させる。
Greep のカーニバル的な歌唱と Morgan Simpson のドラムが最もタイトに噛み合う一曲でもある。
Welcome to Hell
アルバムのリードシングルとして先行リリースされた一曲。主人公は Private Tristan Bongo。戦争のトラウマを抱えた兵士が、休暇中に享楽的な行為に溺れることで自分の傷を麻痺させようとする物語だ。
「To die for your country does not win a war / To kill for your country is what wins a war(祖国のために死ぬことは戦争に勝つことではない——祖国のために殺すことが戦争に勝つことだ)」という歌詞が、戦争プロパガンダの構造をそのまま剥き出しにする。アルバムの中で最も直接的な政治的言明だ。
音楽的にはアルバムの中で最もとっつきやすい入口になっていて、鋭く上昇するギターのモチーフと Morgan Simpson のスネアの切れ味が噛み合った瞬間から、「これはただのバンドじゃない」という確信に変わる。終盤はスラッシュメタルを思わせる爆発で締める。
27 Questions
アルバムを締めくくるこの曲は、雨宿りのために立ち寄った酒場で Freddie Frost という男の生きながらの追悼式に迷い込んだ語り手を描く。Greep は後にこの曲がアルゼンチンのタンゴから着想を得たと語っている。
「Do nuns fornicate? / And scientists pray?」——Frost の問いに答えはない。Frost がホットエアバルーンほどに膨れ上がって消えていく荒唐無稽なエンディングで、アルバムは幕を閉じる。「そして私たちは笑いながら家に帰った」——それがこのアルバムの最後の言葉だ。全編を通じて積み重なってきた物語を劇的に閉じる、このバンドにしか作れないクローザーだ。
まとめ
個人的に、このアルバムを初めて聴いたときは正直何が起きているかよくわからなかった。拍子が変わりすぎる、音が多すぎる、Greep が何を歌っているのかわからない。
でも3回目あたりから、その「わからなさ」の中に緻密な設計があることに気づき始めた。「Sugar/Tzu」の終盤の爆発が来たとき、初めて「これはとんでもないアルバムだ」と確信した。
整理整頓されたポップスが切り捨ててきた、説明のつかない混乱、理不尽な暴力、そして不条理なまでの美しさ。それらをすべてありのままの密度で叩き込んだのがこのアルバムだ。情報の濁流に飲み込まれ、脳が処理を諦めた瞬間、この地獄巡りは最高のエンターテインメントへと変貌する。
2024年にバンドが活動休止を発表したとき、Greep はソロ活動へと向かった。Picton は新しいグループを結成し、Simpson はジャズ・ミュージシャンや Little Simz との仕事へ進んだ。有終の美という言葉がこれほど似合うバンドの最後を、他に知らない。

