Frank Zappa の『One Size Fits All』は、1975年にリリースされた Mothers of Invention としての最後のスタジオアルバムです。George Duke(キーボード、ボーカル)、Napoleon Murphy Brock(テナーサックス、フルート、ボーカル)、Chester Thompson(ドラム)、Tom Fowler(ベース)、Ruth Underwood(マリンバ、ヴィブラフォン)——この6人編成こそ、多くの Zappa ファンが「最高のラインアップ」と呼ぶ顔ぶれです。
本作はその布陣による最後の作品であり、一つの時代の終わりが最も輝く瞬間に重なりました。
Zappa入門としての本作
Frank Zappa のディスコグラフィーは60枚以上に及びます。どこから入ればいいか——この問いに答えるとき、多くの Zappa ファンと評論家が『One Size Fits All』を挙げます。
このアルバムの設計が「間口の広い曲」と「深い曲」をバランスよく並べているからです。「Can’t Afford No Shoes」の単純明快なブルース・リフ、「San Ber’dino」のブギーは、Zappa に不慣れな聴き手でもすぐに体が動く。その一方で「Inca Roads」や「Andy」は何度聴いても新しい発見があります。
さらに、Zappa の音楽のどの側面にも入口があります。プログレッシブ・ロック寄りに聴けば「Inca Roads」、ジャズ・フュージョンとして聴けば「Andy」、ブルース・ロックとして聴けば「Po-Jama People」、変な歌詞と笑えるユーモアとして聴けば「Evelyn, A Modified Dog」。本作はジャンル別に入口が設置されているアルバムです。
ひとつだけ正直に言っておくと、「Inca Roads」の冒頭で変拍子にいきなり放り込まれるのは、初聴ではやや面食らう体験です。しかし2分を過ぎて Zappa のギター・ソロが入ってきた瞬間、たいていの人間は「あ、これ好きだ」と思います。わたしはそうでした。
音楽性
このアルバムには、Zappaの音楽の全側面が一枚に収まっています。複雑なジャズ・フュージョンと変拍子、R&B とブルース・ロックのグルーヴ、滑稽な歌詞と批評的なユーモア、室内楽的な精巧さ——それらが9曲に詰め込まれながら、アルバム全体として聴けば「うるさくない」。
和声面で Zappa が一貫して用いる手法は「調性の曖昧化と突破」です。リディアンやドリアンといった教会旋法を使いながら、そこに全く異質なスケールのフレーズを2小節だけ割り込ませる。聴き手の調性感覚を一瞬リセットさせ、知らないうちに耳を裏切る。Zappa はこれを「パターン破壊フレーズ」と呼んでいました。
また終止を A の持続音で宙吊りのまま終わらせる手法も本作に複数回現れます——解決しない。この「着地しない終わり」は Zappa が生涯を通じて愛用したものです。
リズム設計の核心は変拍子の「見えない複雑さ」にあります。複数の拍子記号が切り替わりながら曲が進んでいきますが、変拍子の切り替えはメロディーの自然な抑揚に従っているため、意識して数えようとしない限り複雑さを感じさせません。
Ruth Underwood のマリンバは Juilliard で鍛えた古典打楽器奏者の精度で Zappa の複雑な記譜を再現しながら、同時にロックバンドの文脈でグルーヴします。Zappa のギターは長尺のブルース進行を踏み台にしながら中盤から調性の外へ飛び出す。Fowler と Thompson が下から支えているから、Zappa は好き勝手に飛べるんです。
楽曲解説
Inca Roads
Erich von Däniken の『神々の戦車?』に着想を得た曲で、ナスカの地上絵を UFO の着陸地点とみなす疑似科学的な物語を骨格に持ちます。しかし歌詞の「did a booger-bear come from somewhere out there?(どこかよそからバギー・ベアが来たのか?)」という一節が示すように、Zappa はその「神秘」を笑い飛ばす視点で書いています。
曲の構成は多部形式で、ボーカル・セクション → Zappa のギター・ソロ(ヘルシンキ録音)→ Underwood のマリンバが主導するインタールード → Duke のシンセ・ソロ(7/16拍子で展開)→ テーマの再現、という順で進みます。11/16 が充てられている「did a booger-bear」のフレーズでは、音節の数と拍の数が奇妙にぴったり合う瞬間がある。これが Zappa の天才のひとつです。
和声的には C リディアンを基調とするギター・ソロがとても印象的で、明るいスケールでありながら#4度の音が常に宙に浮いた不安定感を生む——解決するようで、わずかに届かない。その「届かなさ」が中毒性の正体です。私も何回も繰り返し聴きました。
Sofa No.1 / Sofa No.2
No.1 がインストゥルメンタル、No.2 がドイツ語を含む歌詞付きバージョンです。アルバムのアートワーク——巨大なえんじ色のソファが宇宙空間に浮かぶ——の直接の元ネタで、室内楽的な書法をポップな器に乗せた実験でもあります。
和声は C メジャーを基調に進み、テーマ D では G ペダルによってミクソリディアン的な浮遊感を挟む。そして曲は A の持続音で宙吊りのまま終わります。この「終わらない終わり」がここでは最もエレガントに機能しています。
No.2 で Zappa が「Ich bin der Grosse Teutscher Held(私は偉大なドイツの英雄だ)」と朗々と歌い始めた瞬間、笑っていいのか感動していいのか判断がつかなくなる。これも Zappa の狙い通りだと思います。
Po-Jama People
「パジャマ族——毎晩おとなしく帰って明日の仕事を待つだけの人々」への皮肉な観察をボーカルで語る曲です。後にこの歌詞は一部のバンドメイトへの批判だったと言われており、「一緒にツアーを回るのが退屈な連中への歌だ」と説明されています。
曲の本体はギター・ソロです。D マイナーのブルース進行を踏み台にしながら次第に外側へ引っ張られる「展開する作曲」として設計されており、中盤からは調性の外へ完全に飛び出します。フレットレス・ギターを使用しているため、音程の滑らかな移行がブルースのグルーヴを増幅しています。
Florentine Pogen
Napoleon Murphy Brock のボーカルとサックスが主役の曲です。タイトルはイタリアのフロレンティーヌ・クッキーのブランド名で、Zappa 自身が飛行機の中でフライト・アテンダントから小袋に入ったその菓子を手渡された瞬間「まさか」と思ったといいます。
A ドリアンを基調に進む長い主題メロディーが全声部のユニゾンで動き、途中で C# リディアンと B リディアンという全く異質なスケールのフレーズに突然差し替えられる。演奏の勢いのせいで大半の聴き手はそのズレを「面白い動き」として体感するだけで通り過ぎます。
後半に Chester の短いドラム・ソロが挿入され、いつの間にか「Chester’s gorilla she goes quack」という呪文のようなボーカル・フレーズに収束します。何が起きているのか完全にはわからない。それでも楽しい。
Andy
Johnny “Guitar” Watson がリード・ボーカルに加わります。Zappa のアイドルと呼ぶべき R&B ギタリストのふてぶてしい声が、本作で最も「ロックに寄らない」楽曲を逆説的に最もロックらしく聴かせます。
Duke のキーボードとサックスが対話するセクションはジャズ・フュージョンの語法に最も近く、この一曲だけでも「Zappa はジャズも書ける」ことがわかります。Zappa が1988年の最後のツアーまでセットリストに入れ続けた曲の一つです。
まとめ
バンドは1975年以降に解散する。George Duke は Weather Report の前身になるグループへ、Chester Thompson はそのまま本当に Weather Report と Genesis へ移った。Ruth Underwood はマレットを1977年3月以降ほぼ封印した。
つまりこのアルバムは、最高のラインアップによる最後の作品だ。続く予定のなかった終わりが、最も輝く瞬間に重なった。
しかしこのアルバムは走り続けた。リリース当時は商業的に前作を下回ったが、その後の再評価は著しく、現在では Zappa カタログ中の最高傑作として広く認識されている。変拍子はメロディの抑揚に従い、ジャズはロックと溶け合い、室内楽はファンクと並走する——それらが「難解」ではなく「楽しい」として届いてくる。それがこのアルバムの奇跡だ。
Zappa のディスコグラフィーは60枚以上に及ぶ。その中でこれだけ多くの人間が「入口」として指差す一枚が存在するということは、単純に凄いことだと思う。42分。ちょうどいい時間だ。音楽史に残る傑作が、こんなにコンパクトに収まっている。
