Sufjan Stevens の『Illinois』(2005年)は、全22曲・約74分のアルバムだ。Metacritic 90点、2005年で最も高く評価されたアルバムに選ばれ、2023年にはブロードウェイでミュージカル化されトニー賞 Best Choreography を受賞した
このアルバムは Stevens が「50 States Project」と呼んだ企画の一環として作られた。全50州それぞれに1枚ずつアルバムを作るという壮大な計画で、2003年の前作『Michigan』がその第1弾だった。ただし本人は後に「あれはプロモーション上のギミックだった」と率直に認めている。実際、彼がアルバムを作ったのは2州で止まった。
ほぼ全ての楽器を Stevens 本人が演奏した。アコースティックギター、ピアノ、オーボエ、アルトサックス、フルート、バンジョー、グロッケンシュピール、アコーディオン……使用楽器は25種類以上に及ぶ。
アルバムの制作にあたって Stevens はイリノイ州の歴史・犯罪記録・文学・地誌を徹底的に調べた。UFO 目撃事件の記録、先住民の部族長 Black Hawk の歴史、シカゴの連続殺人犯 John Wayne Gacy の裁判記録、1893年のシカゴ万博の資料、詩人 Carl Sandburg の作品——その調査の密度が、22曲という規模になった。
初版ジャケットにスーパーマンが描かれていたが、DC Comics の著作権上の懸念により、後続の版では風船や空白に差し替えられた。
音楽性
このアルバムの和声的な特徴は、長調の中に「解決を急がない」コード進行が埋め込まれていることだ。多くの曲が I – V – VI – IV という最も一般的な進行を使いながら、その中に「次に来る解決音が意外な方向から現れる」瞬間を挿入している。
「Chicago」は D メジャーを主調としながら、コーラス「All things go, all things go」で Gsus2 が入ることで、到達感と同時に「まだどこかへ向かっている感覚」が残る。これが74分間聴き続けても疲れない理由の一つだ。
転調という観点では、「Come On! Feel the Illinoise!」が最もわかりやすい例だ。Part I は5/4拍子で書かれ、そこから Part II へ移行する瞬間に拍子が5/4から4/4に変わる——変拍子のリズムが持っていた推進感が、4/4に切り替わった瞬間に「解放される」感覚に変わる。転調と変拍子の切り替えが、詩人との夢の中の対話という「場面転換」を音楽で説明している。
歌詞全体のテーマとして、このアルバムを貫くのは「アメリカを称えながらアメリカを告発する」という二重の視線だ。1893年の万博を賛美する一方で、直前に Native American の土地を奪った歴史を曲名の中に置く。Abraham Lincoln を称えながら、彼の妻が精神を病んだことに小さな追悼を捧げる。英雄と殺人犯と無名の労働者が、同じトーンで歌われる。
楽曲解説
Concerning the UFO Sighting Near Highland, Illinois
アルバムのオープナーで、1分58秒というほぼインタールード的な長さ。ピアノとフルートと合唱が静かに始まり、「三角形の光を持つ大きな物体が夜空を飛んだ」という1994年の実際の UFO 目撃事例を語る。
「神を見た、彼は彼女を連れて行き / 私は光の柱を見た」という歌詞が、UFO 目撃と神の顕現を重ねて書かれている。続く2曲の壮大さの前に、この静かな導入がある。
Come On! Feel the Illinoise!
アルバムの最初のクライマックス。6分46秒の二部構成で、Part I(The World’s Columbian Exposition)が5/4拍子で爆発的なオーケストラの広がりを作り、Part II(Carl Sandburg Visits Me in a Dream)で4/4拍子に切り替わって内省的な問いへと落ちる。
「Are you writing from the heart?(心から書いているか?)」という Sandburg の問いかけが曲の中心にある。フェリス・ホイール(1893年の万博で初登場)、Frank Lloyd Wright、Sandburg——シカゴの遺産をぎっしり詰め込んだ歌詞が、アルバムの「イリノイ州の歴史旅行」の核心を担っている。
John Wayne Gacy, Jr.
3分20秒。アコースティックギターとピアノ、Stevens の囁くようなボーカルだけで、連続殺人犯の一生が語られる。「27人、いやそれ以上 / 彼らは少年たちだった / 車と夏のアルバイトを持つ」——という歌詞が、被害者を統計ではなく人間として描く。
そして最後の行で視点が反転する——床板の下に何かを隠しているのは、語り手自身だ。歴史上の殺人犯についての曲が、突然、私たちの話になる。
Chicago
アルバムの中心。6分5秒。「All things go, all things go(すべては過ぎ去り、すべては続く)」というコーラスが、合唱隊と弦楽四重奏に包まれながら繰り返される。
「もし私が友人の車の中で泣いていたなら / それは自分自身と土地からの自由のためだった」——シカゴへのドライブというシンプルな情景が、実存的な逃避の詩になっている。アルバムを外から聴いた人に「まずこれを」と言える一曲だ。
Casimir Pulaski Day
5分54秒。骨のがんで死にゆく友人、Bible study、「何も起きない」という神への問い——Stevens の最も個人的な喪失と信仰の危機がバンジョーの上で静かに歌われる。アルバム中で最も「解決しない」曲で、神への怒りも諦めも明示されない。
「春の野に / あなたは光の中に立っていた」という最後の映像だけが残る。
The Predatory Wasp of the Palisades Is Out to Get Us!
Stevens が夏キャンプで経験した同性への愛情を、ハチ(wasp)というメタファーを通じて描いた曲だ。「彼の背中に手を当て私は彼にキスした / 私は腕に沿ってハチを見た」——ハチが自分の感情の象徴なのか、道徳的な禁止の象徴なのか、Stevens は明言しない。
曲の構造は、フルートとギターの静かな導入から、合唱とトランペットが加わる壮大なクライマックスへと向かう。「静から爆発へ」のダイナミクスが、告白の慎重さと感情の溢れ出しを音で体現している。
The Tallest Man, the Broadest Shoulders
Part I と Part II からなる組曲で、フォークからバロック的なオーケストラへの変容が最も劇的な一曲だ。Stevens がアルバムの全アレンジを「苦心して作曲した」と記した通り、この曲はアルバムの編曲技術の頂点だ。すべての声部が同時に鳴り続けながら、互いを消さない——その設計の精度が、22曲中で最も際立っている。
Out of Egypt, into the Great Laugh of Mankind, and I Shake the Dirt from My Sandals as I Run
アルバムのクローザー。「出エジプト」というタイトルが示す通り、旧約聖書の解放の物語がアルバム全体の旅路の比喩として置かれている。22曲・74分をかけて旅した末に、Stevens は「サンダルから土を払って走り去る」——どこへ向かうかは告げずに、軽やかに終わる。
まとめ
このアルバムの Billboard Heatseekers Albums 1位という記録は、2005年という時代の奇妙さを示している。アメリカがイラク戦争の只中にあったあの年に、22曲74分の「イリノイ州の歌集」が最も称賛されたインディ作品になった。
連続殺人犯と UFO と夏の恋と神への問いが、同じ一枚のアルバムに収まっている。その振れ幅を支えるのが Stevens の卓越した編曲技術と、揺るぎない誠実さだ。
このアルバムをジャンルで説明しようとすると必ず失敗する——フォークでも、チェンバーポップでも、ゴスペルでもない。ただ、音楽史においてこのアルバムが占める場所は、議論の余地がない。