Adele の『21』について、今さら語るまでもない気もする。
でも何度聴き返しても、このアルバムの異様さに改めて驚かされる。2011年リリース。30カ国以上でチャート1位、累計3000万枚以上の売上。
そういう数字より大事なのは、このアルバムが「たった一人の男に向けた、あまりにも個人的な怨念と未練」だけで成立しているという事実だ。その一人のための歌が世界中の何億人の心を貫いた。そこにこのアルバムの本当の恐ろしさがある。
制作の経緯が面白い。Adele はもともとこのアルバムをポップス寄りの内容にするつもりだった。しかし交際相手との関係が壊れ始め、制作が止まった。
関係の完全な破綻とともに、突然エンジンがかかった。別れの翌日、Adele はプロデューサーの Paul Epworth に連絡し「感情をそのまま曲にしたい」と言い、スタジオへ向かった。Epworth は「もっと攻撃的な音を目指そう」と提案し、ドラムのビートは「心臓が爆発しそうな鼓動を模した」。2日間でデモが完成し、それが「Rolling in the Deep」になった。
音楽性
「Rolling in the Deep」の話から始めたい。あの足踏みのような重たいリズム——あれは Adele の怒りの鼓動そのものだ。
Epworth との共作は、彼が Coldplay や Florence and the Machine と作ってきた「大きなスペースに響くドラムと生音」の美学を、Adele のゴスペル由来の声と組み合わせたものだ。「Rolling in the Deep」のドラムの反響には、1950年代のサン・スタジオが使ったスラップバック・エコーへの参照が設計の中にあると言われていて、その「歴史の中から引っ張ってきた質感」がアルバム全体のアーキテクチャーに通底している。
曲の構造も面白い。一般的なポップスのサビ——盛り上がって解放される——とは少し違う。「Rolling in the Deep」は最初から最後まで怒りの圧力がほぼ均等にかかり続けていて、カタルシスというより「怒りをそのまま持続させる」設計になっている。
Adele 自身はのちにこう語っている。「Paul が私から声を引き出してくれた——この曲で私が出した音は、それまで自分でも知らなかった音域だった」。あの咆哮に近いサビの声は、スタジオで初めて解放された声だったらしい。そう聞くと、あの生々しさの理由がわかる気がする。
Adele の声のルーツは Etta James、Ella Fitzgerald、そして Dusty Springfield だ。
本人は「Dusty Springfield を初めて聴いたとき、自分が何をしたいかわかった」と語っていて、Dusty の「Son of a Preacher Man」(1968年)が持つ「ゴスペルとポップの中間にいる声」こそ Adele が目指した質感だと言える。Ella Fitzgerald からはフレージングの感覚——コードのどの音に着地するか、どこで息を抜くか——を学んでいる。
Rick Rubin がメインプロデューサーとして最初は全曲を担当する予定だったが、Adele は満足できず、最終的に Epworth、Ryan Tedder、Fraser T Smith、Dan Wilson らとの初期テイクに戻すことを選んだ。
Rubin はこう語っている。「彼女のパフォーマンスがあまりに強烈で、バンドの全員がそれに聴き入っていた。誰も彼女の邪魔をしてはいけないと、全員が本能的に感じていた」。その初期衝動の生々しさが、このアルバムの核だ。
音楽的にこのアルバムが面白いのは、2011年の音楽シーンでほぼ全員がやっていたことを何もやっていないところだ。打ち込みのビートもない、オートチューンもない、派手な音響処理もない。あるのは声とピアノとバンドの生演奏だけ。
Adele 自身はそんなことは考えていなかった——ただ「自分の声が一番正直に伝わる方法で録りたかった」というだけだ。それが30カ国1位という結果を生んだ逆説が、今も面白い。
「Someone Like You」は Dan Wilson との共作で、コード進行はピアノの4コードから始まった。元カレが新しい人と幸せにやっているという情報を聞いた翌朝に書かれたとも言われている。
「Nevermind, I’ll find someone like you」という一節の、諦めと強がりと悲しみが混ざった感触——あれは Adele が実際にそう感じたから書けた言葉だと思う。「Rolling in the Deep」が怒りなら、「Someone Like You」は静かな崩壊だ。この2曲が同じアルバムに入っているというだけで、このアルバムの振れ幅がわかる。
まとめ
このアルバムを聴くと、人間って何百年経っても、誰かを愛して、失って、ボロボロになるというルーティンからは逃げられないんだな、とほんの少し安心する。その誠実さが、今も刺さり続けている理由だと思う。

