Pearl Jamの『Ten』は、1991年にリリースされたデビューアルバムです。
プロデュースはRick Parasharとバンドの共同で、シアトルのLondon Bridge Studiosで録音された。
グランジの文脈で語られることが多いこの作品ですが、同時代のNirvanaやSoundgardenと比べると、Led ZeppelinやJimi Hendrixといった70〜80年代のクラシックロックへの傾倒が際立っています。
アメリカ国内だけで1300万枚超を売り上げ、RIAAから13×プラチナ認定を受けている。
アルバムのタイトル『Ten』は、バンドの前身「Mookie Blaylock」——NBAのガードプレイヤーの名前から取った——の背番号10番に由来します。
バンドが正式にPearl Jamと改名した後も、その番号だけが残った。世界で最も売れたデビューアルバムのひとつが、バスケットボール選手の背番号に由来しているわけで、なんとも皮肉な話です。
制作背景
出発点はMother Love Boneの解散でした。
1990年3月、ボーカルのAndrew Woodがヘロインの過剰摂取で死去し、バンドは活動を停止。Stone GossardとJeff Amentは数ヶ月を悲しみの中で過ごした後、ギタリストのMike McCreadyと組んでデモテープを制作し、ボーカリストを探し始めます。
そのテープが元Red Hot Chili PeppersのドラマーJack Ironsを経由して、サンディエゴのEddie Vedderの手に渡ったのは1990年9月のこと。
当時Vedderは夜間のガソリンスタンドで働いていた。
テープを受け取ったVedderはサーフィンに出かけ、波に乗りながら歌詞を書き、翌日には3曲分の歌詞を録音してシアトルへ送り返した。GossardとAmentはその録音を聴いて、すぐにVedderをシアトルへ呼び寄せます。
シアトルへ向かう道中でVedderがさらに書いた曲が「E Ballad」——後に「Black」と改題される曲です。
1991年3月、バンドはドラマーのDave Krusenを加えてLondon Bridge Studiosに入り、レコーディングを開始。セッションは4月26日に終了——実質1ヶ月以内にアルバムが完成したことになる。
Amentは後にこう語っています。「制作に約25,000ドル、ミックスにその3倍をかけた。それでもMother Love Boneのアルバムに費やした金額の3分の1だった」と。
録音後、バンドはイングランドへ渡り、エンジニアのTim PalmerとともにサリーのRidge Farm Studiosでミックスを行いました。
Palmerがこのスタジオを選んだ理由——「ロサンゼルスやニューヨークのスタジオからできる限り離れた場所だった」。その判断が、このアルバムの空気感に影響していると思います。
ミックス中にPalmerはMcCreadyに「Alive」のアウトロのギターソロを弾き直させ、「Black」のイントロを微調整した。ProducerのParasharも「Black」と「Jeremy」にピアノとオルガンを追加しています。
ただし、バンドメンバーはこのミックスの仕上がりに後年まで不満を持ち続けた。
2002年にGossardは「過剰に作り込まれていた。スタジオ初心者だったし、テイクを重ねすぎてバイブを殺してしまった。リバーブが多すぎる」と振り返っています。2009年のリイシューではRemix版が制作され、このリバーブ問題が修正された。
アルバムは発売直後に大きな反響を呼んだわけではありませんでした。
売り上げが急加速したのは1992年に入ってからで、「Even Flow」「Jeremy」のシングルヒットと精力的なツアーが火をつけた。同年末にはBillboard 200で2位まで上昇しています。
音楽性
グランジという言葉でまとめてしまうのは、このアルバムに対して少し不誠実な気がしています。
サウンドの骨格は70年代のハードロック——Led Zeppelin、Jimi Hendrix、Neil Youngへの影響が随所に顔を出す。
GossardとMcCreadyの2ギター編成はリズムとリードの役割分担が明確で、Gossardがグルーヴとリフでサウンドをガッチリ固め、McCreadyが感情の余韻を引き延ばす。McCreadyのリードギタースタイルはStevie Ray Vaughanへの傾倒が深く、ブルース的なフィールを主軸に置いています。
ミックスの深いリバーブと中域を厚くしたギター、低域豊かなAmentのベース——これらが組み合わさって、「スタジオの中にスタジアムが詰まっている」ような音像を作り出している。
後にバンド自身が「リバーブを抑えたかった」と述べた通り、このウェット感は意図的なものというより当時の未熟さと取られている面もある。でも結果として、それが『Ten』の空気感として定着しました。
Vedderのボーカルは、発音が滲み、語尾の母音が伸びるフレージングが特徴的です。
歌い上げるというより言葉を体に通す感覚で、シャウトの場面でも声のエッジが消えない。Jim Morrisonへの比較はよくなされますが、VedderにはMorrisonにない「傷の具体性」がある。
歌詞が描くのは抑圧、暴力、孤立、ホームレス、家庭崩壊——エンターテインメントとしての痛みではなく、実際に経験された痛みが書かれている。それがこのアルバムの声に、他にない重さを与えています。
楽曲解説
Even Flow
アルバムの2曲目で、ホームレスの男性の日常を描いた曲です。
歌詞はVedderが書き、音楽はGossardが作曲した。スライドギターのリフが黒いグルーヴを刻み、McCreadyのギターソロはテクニックを見せつけるというよりVedderの声の残響をギターで延長する役割を担っています。
録音には多大な苦労が伴った。McCreadyはこう振り返っています。「Even Flowは50回か70回はやった。本当に悪夢だった。何度も何度もやって、互いに嫌い合うほどになった。Stoneは今でも仕上がりに満足していないと思う」と。
結局バンドはこの曲を1992年映画『Singles』のサウンドトラック用に、新ドラマーのDave Abbruzzese入りで録り直している。
Alive
冒頭のリフから「開けた」感触がする曲です。
音楽はGossardが書き、歌詞はVedderが担当した——そしてこの歌詞には、Vedder自身の実体験が刻まれています。
17歳のとき、父親だと思っていた人物が実は継父であり、実の父はすでに他界していたという事実を母から告げられた。その体験が下地になっている。
「生き延びた叫び」のように聴こえるこの曲が、実は喪失と混乱の歌だというのは、なんとも複雑な後味が残ります。
録音のエピソードも面白い。本来のセッションで納得のいく演奏が得られなかったため、最終的にアルバムに収録されたのは1991年1月のデモ録音です。
アウトロの2分間のギターソロはMcCreadyがミックス段階でRidge Farm Studiosで追加録音したもので、McCreadyはAce Frehley(Kiss)の「She」からインスパイアされたと語っています。
Black
アルバム5曲目。音楽はGossardが「E Ballad」というインストゥルメンタル・デモとして書き、歌詞はVedderがシアトルへ向かう道中に書いた。
Vedderはこの曲についてこう語っています。「最初の関係を描いた曲だ。手放すことについての歌。地球の引力の前では、関係を維持し続けることはとても難しい」と。
Epic Recordsはアルバムの成功後にシングルとしてリリースするよう強く求めたが、Vedderはこれを拒否しました。ラジオ局のマネジャーに直接電話をかけてシングルカットしないよう働きかけたほどです。
「壊れやすい曲はビジネスに押しつぶされる」——その言葉が、Vedderというアーティストの姿勢をそのまま表していると思います。
それでもこの曲は1993年にBillboard Mainstream Rock Tracksチャートで3位に達した。シングルなしで、です。
終盤でVedderの歌メロがシャウトへと変容していく瞬間は、このアルバムでいちばん「身体で受け取る」音楽だと感じます。
Jeremy
1991年1月8日、テキサス州リチャードソンの高校で、15歳のJeremy Wade DelleがクラスメートとFay Barnett教師の前で銃で自らの命を絶ちました。
Vedderは新聞のわずか数段落の記事でこの出来事を知り、「あの行為に、あの犠牲に、もっと重みを与えなければならなかった」と語っている。それがこの曲の出発点です。
音楽はAmentが書いた。当時入手したばかりの12弦ベースでこの曲を書き、楽器の低い倍音がもたらすオーケストラ的な厚みを意図していました。
Parasharも制作に加わり、ピアノと「アート・ピース」と呼ばれるイントロ・アウトロを、VedderとAmentとの3人でセッションの合間に生み出した。
前半は静かに進み、サビに向けてダイナミクスが広がる設計——その構造がJeremyの感情の弧をそのまま音楽に変換しています。
まとめ
『Ten』がグランジの文脈に収まりきらないのは、このアルバムが70〜80年代のハードロックのボキャブラリーを「過去の様式」としてではなく、90年代の傷ついた感情を伝えるための生きた言語として使っているからだと思います。
スタジアム級のサウンドと内省的なテーマは本来、相性が悪いはずです。それが「暗い感情を抱えたままでも大声で歌える」という感覚になっている。その矛盾を成立させたことが、このアルバムの最大の達成だと思っています。
GossardとAmentはレコード会社に「ツアーの機会が欲しかっただけ」と語っていた。
そのアルバムが、30年以上が経った今もチャートに戻ってくる。

