U2の『Achtung Baby』は、1991年にリリースされた7枚目のスタジオアルバムです。
プロデュースはDaniel LanoisとBrian Enoの共同で、ベルリンのHansa Ton Studiosとダブリン郊外のスタジオで録音されました。英国チャート1位、米国チャート2位を記録し、グラミー賞のBest Rock Album by a Duo or Groupを受賞しています。
今作はU2が自分たちをぶっ壊して生まれ変わった瞬間を捉えたアルバムだと思っています。前作までのアメリカンなルーツ志向をほぼ捨てて、ベルリンとダブリンを往復しながら作られた1枚。
バンド自身がこれを「The Joshua Treeを斧で伐り倒した音」と呼んでいますが、その言葉は正確です。80年代のU2に興味が持てなかったリスナーからも「これで見直した」という声が多かった——それが何を意味するか、聴けばわかります。
制作背景
バンドは1990年10月、ドイツ再統一前夜の最後のフライトで東ベルリンに入りました。
David BowieやIggy Popがかつて録音したHansa Ton Studiosでセッションを開始しましたが、最初の6〜8週間はほぼ何も生まれなかった。方向性をめぐってバンド内で意見が割れ、解散が頭をよぎった、とのちに複数のメンバーが語っています。
突破口になったのが「One」の誕生です。
Bonoがギターを弾きながら即興していた瞬間をエンジニアのFloodがたまたまテープに収めていて、バンドはその一発目の録音をそのまま使いました。
Bonoはこう語っています。「The Edgeの結婚が壊れていた。それだけじゃなく、バンドの内側でも外側でも色々なことが起きていて、私はそのすべてを曲の中で処理しようとしていた」と。
ベルリンのセッションを終えてダブリンに戻ったバンドは、郊外の家を借りてDog Townと名付けたプライベートスタジオで録音を続けました。
Enoは1週間参加しては1〜2ヶ月離れるサイクルで関わり、自分の役割を「U2っぽく聴こえるものを消し去ること」と定義していました。全工程は11ヶ月に及びます。
タイトルはエンジニアのJoe O’Herlihyがセッション中に口癖として使っていた呼びかけ「Achtung, baby」に由来します。
正式に決まったのは録音終盤の1991年8月のこと。なお「Achtung Baby」という言葉はアルバム収録曲「The Fly」のボーカルミックスの中にも埋め込まれています——注意して聴けば聴こえます。
音楽性
このアルバムのミックスで際立つのは、「音を意図的に汚す」という選択の一貫性です。
エンジニアのFloodがドラムに歪みをかけ、Bonoのボーカルをメガフォン越しのように加工した「Zoo Station」の冒頭を聴いた瞬間、これが「あのU2」だとは誰も思わないでしょう。
Bonoは「まったく別の場所に自分を置くものを試したかった」と語っていて、その加工が彼に「別のキャラクターとして歌う」自由を与えました。
Floodはドラム録音にマイク3〜4本しか使わないミニマルなアプローチを採り、80年代のリバーブまみれのロックサウンドへの明確な決別として全体の音像を作り上げています。
ドラムとベースが前に出てギターが霧のように後景で広がる配置は、聴いていると体が動くのにどこか冷たい距離感があって、その両方が同時に成立しています。
前作『The Joshua Tree』(1987年)と比較すると、変化の振り幅がよくわかります。
『The Joshua Tree』はアメリカのルーツ音楽に接近した作品で、Edgeのギターは透明で開かれたアルペジオが中心でした。それに対して『Achtung Baby』は欧州のクラブ音楽とインダストリアル・サウンドに接近し、ギターは歪んで内向きになっています。
同時代のManchesterのHappy MondaysやJesus Jonesがギター・ロックにダンスビートを持ち込んでいた潮流と確かに共鳴しているが、U2はその影響を消化したうえで、スタジアム規模のスケール感を手放していない。
ダンスフロアとスタジアムが同居している——それがこのアルバムのほかにない特性だと思っています。
そのサウンドの土台を支えているのが、転調に頼らない構造設計です。このアルバムの多くの曲は一つの調性に留まり続けながら、コードの積み方とミックスの変化だけで感情の振れ幅を作り出しています。
「One」はAmを中心に展開し、サビでCに解決する動きがBonoの声の張り詰め方と完全に連動しています。転調に頼らずダイナミクスとアレンジで曲を動かす——その手法が、このアルバムで極まっています。
楽曲解説
Zoo Station
アルバムの1曲目。
ブリッジ後ろで弦を弾いて時計の刻みのような音を作り出すEdgeのギター、歪んだ下降グリッサンド、そして加工されたドラムの爆発——この冒頭30秒が「これから何かが始まるぞ」という空気を叩きつけてきます。
歌詞はBonoが聞いたベルリン空襲のエピソードから着想を得ていて、爆撃で動物園が壊れてサイやフラミンゴが翌朝の街をうろついた光景が背景にあります。
不安定な冒頭にベースが入った瞬間に足元が固まって、そこにギターが乗ってくる流れが気持ちいい。
Even Better Than the Real Thing
アルバム2曲目で、ミックスはSteve Lillywhiteが担当しました。
Edgeのギターリフがループのように繰り返されて体が自然に揺れる曲で、前作までのU2にはなかったダンス的なグルーヴが全面に出ています。
Bonoはこの曲のグルーヴを「Sly and the Family StoneとMadchester baggyの出会い」と表現していて、実際にそのハイブリッド感がある。ドラムはシンプルながら細かいアクセントが効いていて、Bonoのメロディがぴったりはまります。
One
アルバム3曲目。セッションの危機を救った即興の産物です。
静かなギターから始まり、ベースが支えて、ドラムがそっと入ってくる。Bonoの声が弱く揺れながらサビで張り詰める感じが、歌詞の切なさをそのまま音にしています。
「一緒にいることについての歌じゃない。愛が必ずしも癒しをもたらさないという歌だ」とBonoは語っています。
Mary J. Bligeのカバーも素晴らしいですが、原曲のこの脆さは替えが利かない。
Mysterious Ways
アルバム5曲目。Dog Townのセッションで「Lady With the Spinning Head」の作業中に派生した曲のひとつです。
北アフリカのリズムを意識したベースラインとEdgeのギターが絡み合うグルーヴは、このアルバムの中で最も体に訴えてくる曲です。
ミックスが完成した後にEdgeがギターのオーバーダブを差し込んだ——というエピソードが、このバンドのスタジオでの作り方をよく表しています。
Ultra Violet (Light My Way)
アルバム11曲目で、後半の感情的なピーク。「Zoo Station」と同じく「Lady With the Spinning Head」から派生した3曲のひとつです。
暗闇の中での渇望と宗教的な救済が交差するこの曲で、Edgeのアルペジオは懐かしい質感を保ちながら歪んでいます。
後半にかけてBonoの声がどんどん感情を乗せていく展開は、アルバム全体を通じて最もストレートに高揚をもたらす瞬間です。
U2は2009〜2011年のU2360°ツアーをこの曲で締めくくっていました。
まとめ
『Achtung Baby』のすごさは、U2の強みを捨てずに大胆に変えたところにあります。
スタジアム級のスケール感を、クラブ的なグルーヴやざらついた音に溶け込ませて、しかも歌詞を内側に向けながら、ちゃんと救いを残している。90年代ロックのど真ん中で、こんなアップデートをやってのけたバンドは他にいません。
今でも繰り返し聴くのは、古びないからです。体を動かしたいときにも、心を静めたいときにも、何度かけても新しい発見がある。
U2が自分たちを壊して再構築した証拠のような1枚です。

